こじつけと言われそうだが、彼らは数奇な年に生まれた業界にとってもシンボリックなユーザーのような気がする。
1995年は日本中を震撼させた衝撃的なテロ事件、麻原彰晃を教祖とするオーム真理教が地下鉄サリン事件を起こした年。
また、死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名と云う未曽有の大災害、阪神・淡路大震災が起きた年でもある。
2011年の東日本大震災で失われた多くの尊い生命とともに深く追悼の意を表したい。
また、1995年といえば狂乱のバブル(谷1986・11~山1991・2)がはじけ「失われた20年」突入の初期でもある。
そして、この年はパチンコ業界にとっても大きなターニングポイントだった。
1995年をピークに遊技参加人口は減少傾向に転じ、今尚、歯止めが効かずその傾向は続いている。
バブル崩壊そしてデフレという外部環境の変化。一方、内部的には射幸性の高い機種の増大や遊技性の複雑化。
それらが一部のミドル、ライトユーザー層の離散を招いた要因だったことは容易に想像がつく。
加えて、そのユーザー減少にも拘わらず機械の入替、高騰化に伴うホールの投資負担は増え続けた。
そこで、収支が悪化したホールは、早期の、そして確実な投資回収の為にその多くが厳しい釘整備と低設定に向かった。
此れ等の諸事象がホール企業のご都合主義と絡み暴走した結果が「今だ!」と云うのが大方の認識だろう。
あくまで個人的な見解だが、そんなパチンコ業界の1995年当時の象徴的な出来事を一つ挙げるなら、東京渋谷にあるONE-OH-NINEの1~5階「マルハンパチンコタワー渋谷」総台数1034台のグランドオープンだろう。
当然、マルハンなりの勝算はあっただろうが、関西の雄が全国制覇を喧伝する為にオープンさせた店舗。
立地を考慮したとしても、当時としては採算を度外視した都心部におけるド派手な出店だったように思う。
天下に武を敷く。尾張国で「天下布武」を掲げ天下統一を宣言した織田信長の心境だったのか・・、大河ドラマの見すぎ(笑)
只、沢彦宋恩から信長に与えられた言葉とされる「天下布武」。此れには「七徳の武」で別の解釈もあると聞くが・・。
そんな世相と業界の分水嶺である1995年に生まれた若者たち。彼らの目には今のパチンコ業界はどう映っているのだろうか。
恐らく、業界変遷の渦中を生き、結果としてそれを支えてきた壮年・老年層とはかなり違った映り方をしているのは間違いない。
当たり前のことだが、彼らには喜々として戯れた思い出もなければ、後悔や悔恨の情などもあるはずがない。
現存こそするものの、限りなくグレーで先細りなギャンブル産業と云うクールな映り方しかしていないのだろう。
つづく

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