ハンドルネーム「雑兵」さんから投稿が寄せられた。店が閉店するまでのドキュメントだ。
■突然の閉店決定の知らせ
私は28歳でパチンコ業界に入った。
一時期、業界を離れた時期もあったが、16年間業界で生きてきた。今年の1月まで、小規模ホールの営業責任者を任せられていた。
昨年11月中旬、オーナーから突然閉店決定の知らせを受けた。信じられない決定事項に心底驚いた。
なぜなら、今年8月のグランドオープンを目指し、秘かに準備を進めていたからだ。グランドオープンから一転、閉店である。
私が在籍していたホールは、決して業績が良いとはいえなかった。それでも、毎日通って頂ける常連のお客様には恵まれていた。
月1回の新台入替をすれば稼働も何とか現状維持出来ていた。
オーナーの方針変更で、去年9月からは最新機種の導入を全て見送った。新しめの中古機の導入に変わった。
オーナーは苦渋の決断だったに違いない。しかし、結果的には4円パチンコと20円スロットの稼働は急降下した。
特に4パチは、新台導入を見送って2カ月目の10月には、過去最低アウトを記録した。
「打ちたい機種がない。同じ負けるなら最新の人気機種が打ちたい…」とお客様からの不満の声も次第に大きくなった。
と同時にスタッフのモチベーションも一気に下がった。
最新の人気機種の入替が出来ない現状に、私は次のようにオーナーに進言した。
「パチンコはオール1円、スロットは4円と8円。低玉、低メダル専門店として再生をを図りたい」
私の提案はオーナーから一蹴される。
それでも黙っていられたのは、6カ月前からグランドオープンを目指して秘かに準備を進めていたからだ。
「スタッフをグランドオープンで最高のステージに立たせてあげたい。お客様に喜んで頂ける営業を目指したい」
この目標があったので、ここで諦めるわけにはいかなかった。
グランドオープンで再起を期したい!
毎月の入替にかける機械代は僅か30万円~50万円程度だったが、低玉&低メダル貸しコーナーへの入替に重点を置かざるを得なかった。
低貸コーナーのお客様を逃がせば、当店の営業は成り立たないからだ。
話を戻そう。
突然の閉店決定をスタッフに伝えるため、アルバイトを含む役職全員が集まってミーティングを開いた。
オーナーからの閉店決定の知らせを受けた5日後だった。
この日から閉店するまでの約2カ月間、大変貴重な時間をスタッフと共有できた。同じ目標を持って取り組めたことを幸せに感じてる。
閉店までの記録を残すために、次回から詳細を綴って行く。
つづく
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有終の美を飾りたい…第1話
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