パチンコ日報

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3世物語 その1

ホールオーナーの息子として生まれながら、小学5年生まで父親の仕事を知らされないままに育った。



親が自分の商売を決して語ろうとしなかったためだ。



3歳まではホールの2階で暮らしていた。その頃の記憶はおぼろげにあるが、1階のホールへ足を踏み入れたことはなかった。



ただ、ホールの食堂で家族以外の人たちと食事をした記憶だけは残っていたが、3歳ではそれがパチンコ店とは分からなかった。



父親の仕事を知らされないままに、気がつけば小学5年生になっていた。



その頃になると、父親の仕事を憎むようになった。



普通の家庭のように、夜一緒に父親が食卓につくことはほとんどなかった。



見かける父親の姿は、夜遅くまで仕事して、朝になって眠りについている姿だった。



日曜日や祝日の日も家に父親の姿はなかった。



父親と会話することもなければ、一緒に遊んでもらった記憶もなかった。



そんなことから、子供の頃はひたすら、父親の仕事を憎んだ。



小学生の高学年の時、家の車はベンツだった。親戚も全員がベンツに乗っていた。



ある日ベンツに乗っているところを同級生に見られたことがあった。



ベンツを見て同級生から「お前の親父はヤクザか」とからかわれたことがあった。



そういわれて、ハタと気がついた。父親の仕事は人にはいえない悪いことをやっているに違いない。



人にはいえない仕事ということは、本当にヤクザかと思うようになった。



パチンコ店の経営者であることが分かったのが小学5年生だった。ただし、友達にはパチンコ屋であることを「絶対に口外するな」と釘を刺された。



父親の仕事を知り、父親が普通に家にいないパチンコという仕事を憎むようになった。



時は流れる。



高1の時だった。友達に誘われて初めてパチンコ店に入った。ジャグラーを打った。ビギナーズラックで、1000円で2回大当たりを引いて1万円勝った。高校生には大金だった。1000円が1万円になったことが嬉しかった。



その勢いで、翌日も1000円持って打ちに行った。またしても1万円勝った。また次の日も行って1万円勝った。



だんだん面白くなってきた。



結局、6日連続で1万円ずつ勝った。その時だった。常連の夫婦ものに挟まれるように座られ、無言でタバコの煙を顔に吹き掛けてきた。



そして、「これを出したらもう止めな」と凄んだ。



未成年でパチンコ店に入っている負い目もあったが、16歳の少年には大人の世界が怖くなって行くのを止めた。



1カ月ほどパチンコ店へ行くのはやめていたが、また友達から「おもしろい機械があるから」と誘われて行った。



ブラックジャックだった。まったく勝てなくてすぐに止めた。



月日は流れる。



また友達から「面白い機械が出た」と誘われて行った時に出会ったのが北斗の拳だった。



こんな面白い機械があるのかと思うほど嵌った。



北斗で客層も若くなり、ゲームセンターのように雰囲気も明るくなっていた。「悪い商売ではない」とパチンコ店の見方が変わって行った。



父親の仕事が好きになってきた。



つづく



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