パチンコ日報

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体を張った時代

暴対法が施行されたのは1991年だから、今から20年以上前の話になる。



暴対法施行前といえば、暴力団の親分から組員が店で遊んでいた時代で、暴力団を体を張って排除していた時代でもあった。



アルバイトでパチンコ業界に入ったその人は熱血漢だった。アルバイト時代から輩の排除をするのが、いつしかその人の役目になっていた。



等価交換営業が主流になり出玉共有が当たり前になった今と違って、ラッキーナンバーの交換営業で、42個交換が主流だったためだったため、玉の横流しは禁止されていた。



玉の横流しを見つけると、相手がヤクザであろうと注意した。4000個終了時代で、それに従わない客とも喧嘩を吹っかけられ、胸倉をつかまれるのは日常茶飯事だった。



ある日、新装開店の日に騒ぐ客を注意したが、一向に従おうとしないので、思わず頬を平手打ちした。



客に手を出してしまった。



相手の年齢は24~25歳。仲間数人と来ていたが、殴った相手がグループのリーダーだった。リーダーが殴られたことで仲間は歯向かってくることはなかったが、すぐに事務所へ連れ込んで諭した。



「(生意気な態度を)気をつけろということですね」と男は素直に謝った。



相手は部落解放同盟の重鎮の息子であることが後から分かった。



お礼参りがあるのではないか、と心配されたが街中で出会ってもお互いにあいさつする仲になった。



客から因縁を付けられても怖くはなかった。



格闘技の経験はなかったが、韓国で軍隊を3年間経験していた。



日本へは留学生として来日していた。



ヤクザの親分からはかわいがられた。



「お前、韓国人か。ワシの両親も韓国や」



その親分はパチンコで遊ぶだけ、遊ぶと「玉は流しておいてくれ」といっていつも帰っていった。



換金はしないで、出玉はそのまま台を開けて、玉をドブに流した。



ある日、チンピラ風のカップルが来店した。



男は20歳を越えているが、女はどう見ても10代の少女だった。



18歳未満は立ち入れないので、注意した。



「おっさん、ワシの女に触るな!」



それが前触れだった。



1週間後、今度は女に高校の制服を着させて再び訪れた。



喧嘩を売りに来たわけだ。



瞬間に怒りのスイッチが入った。



「お前、何様のつもりじゃ!」というなり男の腕を掴み、2階の事務所に上がるエレベーターに連れ込んだ。



男は人違いだと最初は言い訳をしたが、「組のもんや」といって威喝してきた。



「何の組や」と応じることなく、急所を一撃した。



男は電話を貸せというと組に電話を入れた。



電話を代わった。



「うちの組の名前を出しているのに、よく殴ってくれたな。落とし前はつけてもらうぞ」



今まで客とのトラブルは一切怖くなかったが、この時は心底、恐怖心が襲ってきた。



暴対法施行もあってすぐに警察に相談した。



1週間ほど経った夜の9時ごろだった。



2階の事務所から見ていると2台の車がホールに横付けされ、8人がホールに押しかけてきた。すぐに110番すると警察の対応も早かった。



認定団体ではなかったが、その後のお礼参りはなかった。



当時は人手不足もあって、面接で人物的に問題がなければ、入れ墨の入った者でも採用した。



更正したい、という人もいたので拒まなかった。



まじめに働いていたが、入れ墨が入っていることを知らなかった主任がある日、ちょっとしてミスを口汚くののしったことから、我慢ができず、ハンマーを持って追い掛け回した。



この一件ですぐにクビにしたが、「お世話になりました」と礼儀正しく出て行ったこともあった。



「今はホールの従業員がサラリーマン化しすぎてきた。だから汚い奴らの餌食になる」と指摘する。





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