パチンコ日報

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組ちがい

ゴト師豊作の2004年。



こんな豊作はうれしくないのですが、やんちゃグループに属さない普通の青少年達がゴトに手を染め始めたのが2004年、と私は記憶しています。



それまでのゴト師はヤンキー系、チャイナ系がほとんどでしたが、2004年頃から普通のお兄ちゃん達がゴト行為に手を染めるようになったのです。



素人ゴト多発の背景には、器具のネット販売やしっかり儲けたゴトの元締め達が器具を手放す事があったようです。



体感機もしくは低周波治療器を改造した器具によるもので、対象機種のほとんどは4号機吉宗、30パイのシオラーでした。



ゴト師を捕まえる事よりも、「このホールは隙がない」と諦めて何もせずに帰すことを優先しており、それらしき人物にはベタ付きでこちらがマークしていることを知らせることで予防できました。



しかし、このお兄ちゃんたちはガードが甘く、悪気なく、普通に行為に及び、「ちょっと事務所まで」にも素直に従う(中には逃げ出したり、暴れたりする者もいましたが、概ね素直に従い、それまでのゴト師とは様相が異なりました)。

と言うことで多い月には10人ほどを確保することになってしまいました。



(その後、「レバー付近は念入りにズームアップしています。体感機のもちこみは住居侵入罪、従わない場合は不退去罪となります」と言った趣旨のポスター告知を徹底することで沈静化しました)



ゴト師の立件には証拠の提出や事情聴取(多い時には刑事課、地域課、生安課少年係と3回)。



実況見分、時には検察への説明への同席、国選弁護人からの手紙対応などなど膨大な労力を費やすのです。



数回目ともなると、当時、担当していただいた警察の幹部職員から「少年で初犯。反省の色も濃く、警察、被害者立会いの下、器具を処分することで和解してはどうか」との提案もしばしばありました。



煩雑な手続きに辟易していた私は警察の提案に迷わず「了解です」。



その他にも色んなケースがありました。



■A(当時21歳)の場合



押し売り被害でした。



K市のパチンコ店で大勝したら、「換金所で待ち伏せされ、10万円で買わされた」そうです。



使い方の説明、ゲームセンターでの練習の奨励もあり、押し売りなのに親切でして、ただし「K市ではするなよ」ということで、当時私が勤めるホールのあるY市に遠征してきたのでした。



本人談話を額面通り受取るわけには行きませんが、待ち伏せされたホール名、手書きの取説、練習したゲームセンターの場所など具体的な話でした。



■B(当時19歳)の場合



前述の警察の提案により和解したのですが、その際「君の写真と免許のコピーは組合に回すからな、今後はY市のホールに出入りするなよ」と遊技場組合に限り、写真・氏名を公表する旨の同意書にも署名させました。

(実際はこういう事件があったことの報告にとどまり、写真・氏名は公表し

ません)



後日、Bの父親から私に電話が。



「うちの息子は一生、黒い勢力に追われるのでしょうか?」との質問です。

息子さんの行為に対するお詫びの言葉はありません。



どうやら「組合」と「組」を混同していたらしいので、ここは丁寧に



「パチンコ業界が健全化の努力をしていること」



「当ホールは黒い勢力とは無関係であること」



「息子さんがまた、犯罪に手を染めないよう見守ること」

などを話すとえらく喜んでいただきました。



宝くじの組違い当りはとてもうれしいのですが、この「組違い」には丁寧に説明しつつも、とても複雑な気分になりました。



「組合と組」の勘違いがあったとしても、「黒い勢力から一生追われるのでしょうか?」と尋ねることは私たちパチンコ店を黒い勢力の一味と感じている証でして、「まだまだ世間はそういう印象を持っているのか」

と思いつつ、臆面もなく(黒い勢力の一味とみなしている)私にそう尋ねる思慮のなさ。



「この父親にしてあの子あり」と感じました。このあほ親には「はい、一生どころか孫の代まで追われます。」と言ってやった方が、薬になるのではと思いつつも、実際は丁寧に解説させていただいたのです。



つづく



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