パチンコ日報

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中学生曰く「ゲームとしてパチンコは面白くない」。メーカーの開発はもっと危機感を持て

都内でゲームセンターを2店舗経営しているオーナーからパチンコ業界の将来を示唆する話が届いた。パチンコメーカーはとくと聞いてほしい。



ゲームセンターは基本は100円単位の遊びで、消費税増税で1円単位の値上げは困難だ。増税分はコインゲームなら払い出し枚数を調整できるが、機械に直接100円を投入するものは大幅な改造をしなければならないので、増税分は転嫁できないのが実情だ。



それでなくても、最近はスマホのゲームにも押され、ゲームセンターは利用客が減少している。消費税増税を機に廃業する店舗も少なくない、といわれている。



そのオーナーの店舗での稼ぎ頭は、プリクラとコインゲーム。特に最近のプリクラは目が大きく見えるなどの加工技術も加わり、何年経っても人気は衰えない。



オーナーはゲーム機を導入するにあたって、直接、常連客である中学生にどんな機械が欲しいか聞くことにしている。



その一環で、パチンコについて聞いてみた。



その答えこそメーカーの経営陣、開発は耳をかっぽじいて話を聞かなければならない。



「パチンコは参加型ではなく、見るゲームのイメージがある。実際、やってもゲームとしてつまらない。景品もしょぼくまたやりたい気持ちにならない。わざわざ100円入れてするゲームではない」



これがヒアリングした何人かの中学生の共通した認識だ。



実際、パチンコを打っているのは中高年層で、小中学生がパチンコを打つことはほとんどない。たまに親子で来て、お父さんと打っている子供を見かけるぐらいだ。



それで、オーナーはパチンコの台数を半分に減らすことに決めた。



実際のパチンコでよく議論されるのが「パチンコは回らなくなったから面白くない、回せば客は戻ってくる」云々だ。



ところが、子供たちは、回ろうともゲーム性そのものが面白くない、と見向きもしない。



ここが一番重要な点だ。



液晶になってからパチンコが一層つまらないものになっているが、今の子供たちはパチンコのゲーム性にNOを突き付けているのだ。技術介入もなく当たるか当たらないかはスタートに入った時にすでに決まっている。



外れをリーチ演出で一生懸命誤魔化しているだけだ。それが分かればバカバカしくてやってられない。



技術介入もなく、運次第のパチンコのゲーム性に今の子供が興味を示すわけもない。



それでもパチンコが成り立っているのは、換金があるから。それをメーカーは自分たちが面白い機械を開発しているから、と勘違いしている。



子供らがゲームセンターでも「パチンコは面白い」と思わせる斬新なものを開発しなければ、今パチンコを支えているボタン連打のシルバー層がいなくなる10年先の業界は悲惨だ。



玉と役物の動きこそが本来のパチンコの面白だ。



アナログだからこそ、ハラハラドキドキ感の醍醐味がある。



液晶以外のパチンコ機開発に力を入れていかないとファンも増えない。





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人材難。パチンコバイトを魅力的な仕事にするには?

関西でP業界専門で人材派遣をさせて頂いております。



最近、人材の確保が本当に難しくなっています。なぜなのかを私なりに色々検証してみました。



それによって見えてきたことは「パチンコ業界」自体が、若い人たちにとっての魅力産業ではなくなっているのかもしれない、ということです。



以下は実際に弊社で働くスタッフにヒヤリングした結果です。



「パチンコ店は身だしなみはうるさいし、体力的にもきつい。接客に関してはホテル並に求められるのに、それに対しての対価が低すぎる。時給1200円で7時間だと日当8400円ですが、飲食店では1000円で10時間とか働けるので稼ぎ自体は多い。しかもご飯が食べれるのは魅力です。身だしなみもそこまで言われない」



「コールセンターだと、身だしなみは自由。時間も好きな時間にシフトを組める。座ったまま働けるし、ノルマも会社によってはあるが、パチンコ店のように監視カメラで監視されることもない。時給も1500円とかもらえる」



一時代前、パチンコ派遣は水商売に次ぐ高時給設定で、稼ぎたい人にとってはスペシャルなバイトでした。ドル箱の上げ下げはきついけど、しっかり稼げることが彼らのモチベーションでした。



しかし、パチンコ業界よりも時給設定が高い業種が増えたことで、きついと分かっているパチンコバイトよりも、先に楽な方を選択するのはごく当たり前の行動だと思います。実際、そう言う経歴の方にお会いすることが多いです。



P業界では…男性は黒髪、短髪が当たり前。女性は髪色○○番まで、後ろに束ねて前髪はピンで止める。ネイルはダメ、アクセサリーはダメというようにダメダメづくしです。



オシャレは自分のため、身だしなみはお客様のため。個性は不必要、と初期研修で教えられます。



接客コンテストに参加されているお店などでは特に厳しい規定があります。お店の統一感を出すために全員に同じ髪型を指示。メイクの濃さやつけまつ毛の長さまで指示されているお店もあります。



一言で言いうと「時代に逆行している」と感じます。



でも、私たちは派遣会社です。もちろん、社内規定に合わない方は紹介できません。髪色ひとつを取っても事前に直せるかを確認します。



現在、少子化が劇的に加速しています。



若い世代の人たちに「魅力的」だと思わせていかないと人材獲得は益々厳しくなっていくと思います。



業界の低迷、イベント規制、消費税UP、若者のパチンコ離れなど、様々な問題が山積みだと思いますが、サービス業として「人」は欠かすことの出来ない大切な宝だという企業様も少なくありません。



身だしなみの規定を緩くして下さいと言っているのはありません。



魅力あるアルバイトの認識を取り戻さないといけない思っているのです。



時給設定、時間、食事、身だしなみ、シフトなど、今の時代の若い世代が「魅力的」と思えるアルバイトにしていかないと誰もパチンコバイトなんかしたくないと言い出すのではないかと危惧しています。



パーソナルや封入式のパチンコは「人件費」をカットするためでしょうか? 人が集まらないので、仕方なしに人がいなくても運営出来るようにするためですか?



アルバイトスタッフは、そんなに必要なくなってきているのでしょうか?



ワイワイガヤガヤして活気あるパチンコ店とは、そこで働く人たちが作り出す目に見えないエネルギーに、お客様が吸い寄せられてさらにパワーが出るものではないでしょうか?



パチンコ店には「人」ってとても大切な部分だと思っています。いかがでしょうか?



未来の人材確保、パチンコバイトの魅力化について皆様のご意見をお伺いしたいと思います。



よろしくお願いします。





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消えた神通力

ジャンケンは後出しが勝つに決まっているように、既存店の近くに出店する場合は、既存店の倍のスケールで出店すれば勝てる…はずだったが、結果は既存店を完膚なきまでに叩き潰すところまでは行っていない。



新店の規模は1000台オーバーの大型店だ。周辺の競合店も最初は影響を受けた。今も客を取られたままのホールがある一方で、スロットの稼働が1割上がっているホールもある。



つまり、1000台オーバーの大型店が集客しきれていない、ということだ。



直接、新店と対決することになった既存店は、交換率は変更することなくあえて同一にした。大型店と同じ土俵で戦うことになった。



小が大と戦う場合、同じ土俵に乗ることは一番やってはいけないことだが、既存店にも意地がある。エース級のスタッフを投入して迎え撃った。



接客では引けを取らなかったが、新店に目移りするお客さんも少なくなく、新店に行った切り戻って来ないお客さんも当然いる。



ホール営業の定石は、パチンコなら海、スロットならジャグラーに固定客を付けて、店の信用を勝ち取ることが不可欠となる。



ところが、新店の方は海に固定客を付けることができず、2ボックスあった海を1ボックス減らしたほどで、新店も苦戦している。本社から見たら及第点の稼働には達していない。



このままパワーゲームをしていても体力勝負になり、資本力があるほうが勝つものだが、最近は事情がちょっと違う。



西日本に大手が新店をオープンさせたのが昨年末。



その地域には地元の競合店が営業している地域への出店となった。台数は共に600台クラスで地元既存店の方が70台ほど多かった。2店舗の距離は1キロほどしか離れていない。



このケースでも交換率は同一で等価交換だった。



新店は全台各台計数機でオープンした。



パワーゲームをする場合、一番の見せ場である出玉感がこれでは演出できない。



3カ月ほどで決着がついた。



既存店の方が勝った。新店はリニューアルで減台した。稼働率やシェア率を計算する上では台数を減らした方が帳尻を合わせることができる。



稼働では地元既存店が7割に対して、新店は3割といったところ。



「戦い方には、戦前、戦中、戦後があるが、何よりも大事なことは戦前の戦い方。新店が来ることはあらかじめ分かること。その戦前の戦いで、既存店がとことん信用力を付けていたかどうかが、何よりも大切になってくる。それまで、稼働のよかった地元の既存店が新店がやってきたことで稼働を落とすケースは多々あるが、自店の営業力と勘違いしているケースが少なくない。それは立地がよかっただけのこと。今回は地元の既存店が戦前の戦いをしっかりしていたから、新店にも負けなかった」と分析するのは地元の事情通。



この地域では1年前にオープンした新店も地元既存店との局地戦では敗北している。







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淘汰の海からの生還 1995 その1

今18歳の若者たち、彼らは最若年のパチンコ&パチスロユーザーだ。そして概ね、1995年(平成9年)生まれでもある。



こじつけと言われそうだが、彼らは数奇な年に生まれた業界にとってもシンボリックなユーザーのような気がする。



1995年は日本中を震撼させた衝撃的なテロ事件、麻原彰晃を教祖とするオーム真理教が地下鉄サリン事件を起こした年。



また、死者6,434名、行方不明者3名、負傷者43,792名と云う未曽有の大災害、阪神・淡路大震災が起きた年でもある。



2011年の東日本大震災で失われた多くの尊い生命とともに深く追悼の意を表したい。



また、1995年といえば狂乱のバブル(谷1986・11~山1991・2)がはじけ「失われた20年」突入の初期でもある。



そして、この年はパチンコ業界にとっても大きなターニングポイントだった。

1995年をピークに遊技参加人口は減少傾向に転じ、今尚、歯止めが効かずその傾向は続いている。



バブル崩壊そしてデフレという外部環境の変化。一方、内部的には射幸性の高い機種の増大や遊技性の複雑化。



それらが一部のミドル、ライトユーザー層の離散を招いた要因だったことは容易に想像がつく。



加えて、そのユーザー減少にも拘わらず機械の入替、高騰化に伴うホールの投資負担は増え続けた。



そこで、収支が悪化したホールは、早期の、そして確実な投資回収の為にその多くが厳しい釘整備と低設定に向かった。



此れ等の諸事象がホール企業のご都合主義と絡み暴走した結果が「今だ!」と云うのが大方の認識だろう。



あくまで個人的な見解だが、そんなパチンコ業界の1995年当時の象徴的な出来事を一つ挙げるなら、東京渋谷にあるONE-OH-NINEの1~5階「マルハンパチンコタワー渋谷」総台数1034台のグランドオープンだろう。



当然、マルハンなりの勝算はあっただろうが、関西の雄が全国制覇を喧伝する為にオープンさせた店舗。



立地を考慮したとしても、当時としては採算を度外視した都心部におけるド派手な出店だったように思う。



天下に武を敷く。尾張国で「天下布武」を掲げ天下統一を宣言した織田信長の心境だったのか・・、大河ドラマの見すぎ(笑)



只、沢彦宋恩から信長に与えられた言葉とされる「天下布武」。此れには「七徳の武」で別の解釈もあると聞くが・・。



そんな世相と業界の分水嶺である1995年に生まれた若者たち。彼らの目には今のパチンコ業界はどう映っているのだろうか。



恐らく、業界変遷の渦中を生き、結果としてそれを支えてきた壮年・老年層とはかなり違った映り方をしているのは間違いない。



当たり前のことだが、彼らには喜々として戯れた思い出もなければ、後悔や悔恨の情などもあるはずがない。



現存こそするものの、限りなくグレーで先細りなギャンブル産業と云うクールな映り方しかしていないのだろう。





つづく





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有終の美を飾りたい…第5話

閉店まで20日間、ここまでスタッフは前向きな姿勢で良く頑張ったと思う。



本当に感謝の気持ちで心が一杯だ。



心配された稼働も落ち込まずになんとか維持出来ていた。ここまでくれば、最後の営業日まで稼働維持ができると思った。



少しばかり話が逸れてしまうが、娯楽とは言うまでもなく余暇にする遊びや楽しみであり、また楽しませることだと個人的には思っている。



現在のパチンコは、娯楽の域を明らかに逸脱し続けてきたと思う。遊技機もベースが低すぎて普通の感覚の人間だと正直なところ遊べない。



30年も前の昔話をしたくはないが、当時のゼロタイガーやキングスター等のハネモノに魅了された時代が懐かしい。



盤面両サイドには、クルクル回るチューリップや天穴に入賞してもどちらかが回ったし、玉持ちには重要な役物だった。



現在と比較すると接客やサービスがお世辞にも良いとは言えなかった時代だが、毎日のように足を運んだ。その時代は、3000円もあれば十分に楽しめたと記憶している。



娯楽場で働く我々は、お客様を楽しませる仕事をしているのだ。現行の4円パチンコなら、僅か30分で1万円近くの遊技玉を消費してしまう。



本来のパチンコ遊技を楽しむことができなくなったことが、大幅なファン減少につながっていると思う。



パチンコをしたことのないスタッフも数多く存在する時代になった。その様な現状を踏まえると、このままではさらなる客離れは避けられないと思う。



話を戻そう。



私が勤めていたホールの常連のお客様は、年配者の方が非常に多かった。ホールで働くスタッフを子供や孫のように本当に可愛がってくれた。



店内壁面にセピア色のお客様とスタッフのスナップ写真をA1サイズで貼り出した。芸能人来店時の記念写真等もあり、懐かしい写真にお客様もスタッフも目を奪われ談笑していた。



店内は時間帯によって年配のお客様が好まれる演歌や懐メロを音量を小さめにして流した。



島端に天井から吊したテレビは、お客様の要望に最大限に応える形で競馬、野球、サッカー等のスポーツ中継を中心に放映した。



小さいながらの休憩コーナーにも最新の週刊誌や新聞等を置いた。カウンターには給湯ポットを置いて、カップ麺等も食べられるようにもしていた。



何よりも感謝の気持ちを込めて、笑顔でお客様への対応を常に心がけた。



閉店日のサプライズとして、弊社代表からお客様へ一輪ずつ花束をプレゼントしてもらうことを企画した。もちろん総付景品の範囲内でだ。



新鮮野菜の仕入れ、デパ地下の人気商品仕入れ、お正月の書き初め、年末の競馬予想、店舗の歌作りなど、各スタッフもそれぞれの思いを込めて、最後の準備に追われていた。



このように、最後となるお客様への最大限のおもてなしの数々を実施しているうちに、閉店日が刻々と迫ってきていた。



同時に長い間、苦楽を共にしたスタッフとの別れの時が近づいてきた。スタッフの今後の進路も現実的に考える時期に入っていた。



出来ればこの業界にとどまって欲しいのだが…。



この時点で閉店7日前だった。





つづく





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