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パチンコ人口を2000万人に回復させる無茶ぶりからすべてが始まる

アポロ計画によって1969年7月20日、アポロ11号が人類初の月面着陸に成功したのは、ケネディ大統領の無茶ぶりからすべてが始まった。当時、アメリカには月面着陸するだけの技術を持ち合わせていなかった。



冷戦下でアメリカとソビエトは国家の威信にかけて熾烈な宇宙開発競争を展開していた。人類初の有人宇宙飛行ではソビエトに先を越され、1961年、ケネディ大統領が60年代中に人類を月に到着させる、と演説したことがアポロ計画の始まりだった。



5年間の地上実験の後、1966年アポロ1号が弾道飛行実験、アポロ2号が地球周回実験、アポロ3号の司令船大気圏突入実験が続く。



無人でサターンロケット及び着陸船の地球周回、大気圏突入などの実験を行ったのがアポロ4号から6号。



1968年には初の有人飛行で地球を周回したアポロ7号。そして、有人で月周回を行ったアポロ8号。アポロ9号とアポロ10号ではもう一度地球周回と月周回実験を行って最終確認を行い、そして、1969年に公約通りアポロ11号が月面着陸を果たした。この間8年間の歳月と当時の日本の国家予算並みの巨費が投じられた。



アメリカは技術があったから月へ人類を着陸させたわけではなく、先に人類を月面に着陸させる、という結論があった。そのために科学者や技術者がどうすれば人類を月面に着陸させることができるかの英知を絞った。



ここからが本題だ。



日本の少子高齢化に伴う人口減少の中で、パチンコ人口も毎年12%減の勢いで減り続けているのは周知の通り。



今やこれ以上の減少を食い止めることが喫緊の課題で、パチンコ人口が1500万人、2000万人に回復することは誰しもが夢物語、と諦めている。



1960年代初頭、人類が月に行くことなんて誰しもが夢だと思っていた。それを現実にしたのがケネディ大統領の無茶ぶりであり、ケネディ大統領の強力なリーダーシップだった。



人類を月に飛ばすことを考えれば、パチンコ人口を3000万人とはいわないまでも2000万人に回復させることの方がよほど簡単なことである。



要はホールとメーカーが互いの損得勘定を捨て、パチンコ人口を増やすためにオールパチンコ業界になることだ。パチンコ人口を増やすことを一丸となって考えれば、おのずと答えは出てくる。



先般、大学生による大学生がパチンコへ行きたくなる、パチンコ未来コンテストが開催されたが、現状のパチンコ店へ大学生が足を運んだところで、ライトユーザーがリピーターになるような環境が整っているとは言い難い。



騒音やタバコ、カネのかかり過ぎる現状を一つずつ改善して、20代のユーザーを受け入れる素地を作ることから始めなければならない。



業界にケネディ大統領のような強力なリーダーシップを発揮できる人材がいれば、アポロ計画の様に8年かかって2000万人に回復させることはできるはずだ。





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