パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

パチンコ屋さん その3

もう15年ほども前の話です。上野でお酒を飲んでいた時のことです。
その席には警察O Bの方もいらっしゃいました。
その方のお話が興味深かったので今でも記憶しています。

彼がまだ警察官になってまだ間もない頃、1960年代のお話です。
日本はアメリカとの安保協定を結ぶ、結ばないで国内は騒然としていました。
大学では毎日のようにデモが行われ会社員ですら「安保反対!給料上げろ!」のシュプレッヒコールを声高に叫び治安が収まらない状況だったと言います。

そんな中、その方の上司が

「本当に国内情勢はこのままではまずい。国民の真意はどこにあるのか」

ここからがその上司のユニークな発想です。

「お前らパチンコ屋に行って様子を見てこい。国民全員が安保反対なのか見届けろ」

何が何だかわからない新人警官たちは散り散りになって町のパチンコ屋の様子を覗ってみたところ、そこには安保反対の風など吹くはずもなく、軍艦マーチと煙草の煙、そして庶民たちがパチンコをしていたそうです。

その報告を聞いた上司は

「これで大丈夫だ。庶民には庶民の生活がある。国内情勢の問題が大いに懸念されているが、必ずしも日本国民の焦点がそこにあるわけではないことがわかった」と至極ご満悦の様子だったとその方は懐かしげにお話をされていました。

パチンコは庶民の娯楽だ。いや、そうあるべきだと思います。

それがさまざまな理由によって娯楽でなくなりつつあります。

娯楽の博打化はメーカー、ホール、そしてプレイヤーの心の中に潜んでいる感情が要因の一つだと私は思います。一時は博打感覚が楽しかった。勝っても負けてもパチンコは楽しかった。

それが今では楽しいという感覚が見えてこないのです。昔は2万負ければ怒りを露わにして店を罵り、2万勝てば恵比寿顔で勝ったと言う自慢話を得意げにしていたものです。

それが今では10万勝っても店内で喜ぶお客さんを見ることがありません。10万負けて店にくだを巻くお客さんもだいぶ少なくなりました。

感情の起伏が乏しくなり、ただ台に向かってうち続けるその様は、娯楽からはほど遠く感じられることもあります。

それでも自分のペースに合わせてパチンコを楽しむお客さんはまだいるのです。
今の流れをもう止めることはできないのでしょうか。


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