
取材したのはゴールデンウィーク終盤の5月5日から8日まで。書き入れ時から平日営業の稼働までを垣間見ることもできる。
初日はGWということで朝から高稼働ぶりがうかがえる。NHKからマイクを向けられ逃げる客も少なくない。
ある客から「取材目的は何なの?」と聞かれるが、NHKも正直分からないのでホールに飛び込んだ。
インタビューに答えてくれたのは中高年が多い。70代の女性は先週まで入院していて、また来週入院するので「今のうちに思う存分楽しみたい」と笑顔で答える。
NHKスタッフは普段パチンコをやったことのない人ばかりのようで、店の奥にある快適な休憩所に驚く。休憩所にいた70代の主婦は孫も大きくなっておばあちゃん離れをして、用事がないときは休憩所に来て血圧を測ったり、知恵の輪をやったり、時にはパチンコも打つ。
「編み物が趣味だったけど、子供が大きくなり着てくれなくなった」
時間を持て余しているのでここに来ている。
パチンコは近所の人には内緒で打っているという60代の主婦は顔出しでインタビューに答える。
「ゴールデンウィークで出さないから悲惨よ。でも、血がみなぎる。パチンコは無駄なことをしていて後ろめたさがあるので内緒でやっている。(パチンカーに対して)世間の目は厳しい。15年一緒に暮らしたワンコが死んだときは泣きながらやった。一瞬でも忘れるから」
黒いワンピースを身にまとった70代の女性は元スナックママで、今は介護の仕事に就いている。仕事が終わると着替えてオシャレしてからホールに来る。
「台がきれいだから来る。パチンコが人生じゃ寂しいかも知れないけど、私はそれでもいい」とキッパリ。
閉店1時間前の午後10時にやってきたのは、30代のシングルファザーだった。子供が9カ月の時に離婚。以来男手一つで障害のある子を育て現在は中学2年生。子供は9時前には寝る。1日の仕事と家事を終えてやって来られる時間が閉店1時間前だ。
「唯一の楽しみ。無になれる」と1時間だけ楽しんで帰る。
2日目は5月6日。連休最終日。この石巻地区は、土日は午前7時開店の店が多い。
きっかけは東日本大震災だった。
「仮設に入って人が多く、プライバシーもなかった。朝からパチンコをしたいという声を聞いて7時開店になりました」(ホール関係者)
土日は7時開店が定着している。
64歳の男性は津波に全部流され、震災当時は大きなストレスを抱えた。
「ここに入れば色んなことを忘れることができる」
取材者から「うるさくないですか?」と聞かれる。
パチンコをしたことのない人からするとそう感じるが「うるさい音がいい。何も音がないと色々なことを考えてしまう。逆に落ち着く」
33歳の建築関係者は4号機の時代からホールに通っている。
「震災後はパチンコ屋の風当たりを強く感じるようになった。被災地だからと言ってパチンコをしちゃダメじゃない。あの日から時間は経っていて、そのままじゃない。被災地でパチンコをしている人たちも、あの日から普通に戻った感じ。今が普通」
取材3日目、5月7日は連休明けの月曜日。平日の朝一ともなればさすがに客も少ない。
70歳の男性は婿養子。
「本当は休みだけど、家には仕事だからと言って出てきた。休みの日は家にいても婿養子なので自分の居場所がない。7年目で復興住宅に入れる。70歳でスタートを切れるのもいい」
パートタイマーの主婦は55歳。
「2~3日来ないだけで、スタッフに心配されるんですよ。スタッフと休みが合えば、一緒にランチも行きます。ここは出会いに満ちていることに気づきました」
5月8日、取材最終日。
「2000円あれば、コメ5キロが買えるのに」とサンドにおカネを突っ込む女性や「人生を生きていくためには、楽しいことをやらないと生きてきた甲斐がない」とやる気満々の75歳男性、時化で3日間も漁に出ていない31歳の漁師らのインタビューで番組のエンディングテーマが流れ始める。
パチンコに求めるのは人それぞれ違う。もちろん勝ちたいから来る人もいるが、家で居場所のない人や一仕事終えての息抜き、苦しいことを忘れるためなど、パチンコの存在理由を知らしめてくれた。
最近はパチンコと言えばネガティブ報道しかないが、パチンコをやらない人がこの番組を観てどう感じたか? 自分の目には、まるたまが地域から必要とされている場所であることが伝わってきた。さすがに高射幸性を否定してきた竹田社長のホールだ。

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