18歳で会社を興し、それが大当たり。儲けたおカネは博打や賭けマージャンにつぎ込み、財産を失った。残ったのは借金だけ。
すべてを失いもぐりこんだのが、その日から雇ってもらえて、衣食住には困らないパチンコ店だった。
18歳で会社を興したぐらいだから、元々商才はあった。加えて、根っからのギャンブル好き。
客の立場になって、どうすれば客が喜ぶか。どんなサービスをすれば、リピーターになるかを日夜考えた。
人材もいな地方のホールで役職はすぐに上がった。
今まで考えたことを実践すると、売り上げも倍増した。たちまち、オーナーの信頼も厚くなり気がつけばNO2のポジションに就いていた。
高給取りになっていた。
夜の歓楽街の遊びは会社が持ってくれた。
ある程度貯金も貯まったところで、業界外の仕事がしたくなった。
外食のフランチャイズで5店舗まで増やした。
結果的にはある事情があって会社を畳むことになる。
そして、再び戻ってきたのがパチンコ業界だった。
「甘デジで2万円も負ける。これが大衆娯楽といえるのか。こんなことをしていたのでは、甘デジで4円の再生なんかできない。7&15の時代が一番バランスがよかった。売り上げも伸びて玉も出すことができた。今の時代、安くて、旨くなければ売れない。安いは1パチだが、旨いをいかに表現するかが課題になっている」
地方都市で、大衆娯楽を実践して高稼働を誇っているホールが遂に出現した。
1パチと5スロの専門店にして、パチンコは160個、スロットは32枚交換で営業している。
現在のユーザーの9割は等価交換が得と考えている。
そういう状況で低価交換ながら7~8割稼働を誇っている。
「近くに大学があるので、おカネのない学生さんが打っている。20円と4円をスパッと捨てたオーナーの勇気に敬服する」
換金した時の金は少ないが、遊べるほうをこの店のお客さんは選択した。
こういう成功事例が一つでも出ると、業界はそちらに一気に流れる。
真の大衆娯楽に戻るきっかけがやっと見えてきた。
「大衆の気持ちを勝ち取った者が勝ち組になる。この先、50銭パチンコでも経営が成り立つオペレーションができたホールが勝ち残る。ウチにはそのノウハウもできあがりました」
オーナーが贅沢な生活を捨てる日も近い。

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