数字で現状と違う箇所が出てくるが、書かれた当時の原文のママとする。
以下本文
■はじめに
自分が初めてパチンコをしたのは大学生の頃・・・
当時の『ぱちんこ屋』は朝の開店から軍艦マーチが流れ 遊技客もそんなに多くはなく、まさに娯楽の殿堂そのものだった。遊技台も手打ちのチューリップ台で占められており 数千円負けた時などは大きく落ち込んだものだ。
働く従業員も島(コーナー)の隅でタバコを吸ったりジュースを飲んだりと、今では考えられないような感じで 機械の不具合があった時など、こちらが手を上げると面倒くさいような顔をされ応対をされた。それが当たり前だと思っていた。
パチンコは800個箱と呼ばれる小箱2箱出れば終了台となり、当時で丁度4000円になっていた記憶がある。今考えると25個借りの40個交換が主流だったのだろう。対してスロットは専門店も存在していたが 鉄火場的なイメージがあり自分は立ち入る事はなかった。
当時は、まさか自分がパチンコ業界に身を置くなど考えてもおらず 完全な一ユーザーの一人であった。そして当時流行っていた『レンタルレコード』の会社に就職し数年が過ぎた頃 系列会社のパチンコ部門に異動となった。
その頃のパチンコ業界の人達は パンチパーマは当たり前、私服はガラのシャツに白いスラックス。エナメルのベルトにエナメルの靴。そして金のネックレス、という一般の人からするとチョッと違うぞ、というような格好の人が多かった。
そんな中、自分は何が出来るのかを考えた時 あまりに杜撰な運営状態にビックリしたと同時に、その部分であれば生き残る術があるかな、とも思った。パチンコ業界の常識は世間の非常識・世間の常識はパチンコ業界の非常識とまで揶揄されていた部分を少しでも改善出来ればと・・・
しかし中を知れば知るほど驚きの連続で、一番信じられなかったのがお金の管理。ドンブリ勘定もよいところで、チェックする部署さえなかったのだ。会社はというとホールコンピューターに計上される金額と、ホールから届く営業日報を信用して売上を把握するだけ。
当時のホールコンピューターは今と比べものにならないくらい粗末なもので、いくらでも誤魔化しが出来たと思う。そしてそれらをチェックすればするほど、不可思議な部分が沢山出てきた。
そうするうちに当時の支配人(今でいう店長)クラスの人達はドンドン辞めていった。不正をやっていた、やっていないに関わらず当たり前の管理というものが嫌になったのだと思う。
それから時代は流れ、軍艦マーチが流れるようなホールもなくなり、従業員の接客も格段に良くなり、遊技台も大きな変貌を遂げた。そして今ではホール企業にも多く『新卒社員』が入るようになり、その人達が会社の中枢を担っている所も多い。
しかし、個人的には良い方向に変わってきていると思う反面、昔のホールのように『味のある店』が無くなってきたな、とも思っている。同じような台、同じような営業スタイルの店ばかりで遊ぶ側の選択肢が狭まっており、遊技人口の減少に繋がっていると・・・
そしてパチンコ業界が、この先どうなるかという期待と不安を胸に書き綴っていく。
■パチンコ店の使命
パチンコ店の使命について、考えて見ます。
身近で手軽な娯楽としてスタートしたこの業界であり、様々な紆余曲折を経て現在に至るわけだが、身近なのはよしとしよう。なにせ全国に一万三千軒弱もあるわけだから・・・。それでは手軽になっていますか?
たしかに設備においては格段の進歩を遂げ、顧客の遊技環境が非常に良くなったのは言うまでもありません。問題は遊技内容なのです。
サラリーマン一ヶ月の小遣いがノーヒットだとわずか二~三時間でなくなるのです。
手軽ですか? もし手軽だと考えられる人がいたら、麻痺しているとしかいいようがない。
日々齷齪働いてほんのわずかの時間で余暇が終わってしまうのです。そしてまた来月遊びに行こうと思いますか?
それだったら家族でおいしいものを食べたり、家族で小旅行に出かけたり、自分の欲しい物を購入したり、効果的な使い方は沢山の選択肢が今の時代は出来るわけです。
それでも遊びに来る顧客がまだまだ沢山いるということを、業界全体で考えていかなくてはいけない。

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