パチンコ日報

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ぱちんこ情熱リーグ イントロダクション

業界で一番最初にこのプロジェクトを紹介したのが去年の4月23日のエントリーだった。当時の名称は現在の「ぱちんこ情熱リーグ」とは違っていた。



その定例理事会に出席したのが前日の4月22日。



この時点ではNPO法人も設立されておらず、5月半ばに申請する、という準備段階だった。



ただ、決まっていることは2010年2月10日、クレオ大阪中央で決勝大会を開くということだった。



この会場は1000人のキャパがある。



大会に向けて参加ホールだけでなく、大会を協賛してくれるサポーター企業を募集する方法も検討段階だった。



サポーター企業になるメリットは何か?



セールスポイントの中に、「エンドロールで感激」という意見があった…。



本来なら、途中経過も逐一取材したかったが、会社を辞めたことでそれもできなくなった。



でも、決勝大会は見に行きたい、取材した、と思い続けていた。



人の出会いと不思議なもので、このパチンコ日報ファンの人からある日連絡があった。



その人も去年会社を辞めて独立したばかりで、久しぶりに会って食事をすることになった。



彼は情熱リーグの手伝いをしていて、当日のチケットをくれた。



これで行くきっかけができた。



「じゃ、パチンコ日報で取材に行こうかな」というと、



「是非是非、プレスの受付に来てくださいよ」



こうして、最初に取材しただけでなく、決勝大会も取材できることになった。



当日、広い会場は、2階席までびっしり埋まった。

夢を実現したな。



情熱リーグのメンバーは、やはりすごい人たちばかりだな、ということを感じながらプレス席に着いた。



情熱リーグの熱い思いは、開会宣言の木村副理事長のあいさつに表れていた。



張り上げる声が会場に響き渡った。



「パチンコ屋で働いていたら結婚できない、と去って行った社員に悔しい思いをした。この仕事に夢を持てない社員さんがいることを知った。友達の経営者の中にも、子供にパチンコ屋をやっていることを隠している人もいる。なんで自分の仕事を隠さなアカンネン! なんでこの仕事に夢を持たれへんねん! 俺の仕事はパチンコ屋や! 俺の会社はパチンコ屋と正々堂々といえる会社にするんや、ということを仲間たちと語り合っていたが、そんな熱い思いもどこかに置き忘れてしまい、打算的な考え方になっていた。同業者間の熾烈な過当競争の中で、自分だけが勝てばいいというそんな経営者になっていた。

そんな自分に嫌気が差しているときに親友である木山理事長から、あの時の熱い思いを今一緒にかねえてみないか、未来の業界人のためにも俺らが動かなアカンのちゃうの、と情熱リーグの構想を聞かされました。

その瞬間、私の心の中にあの熱い思いが蘇ってきました。みんなが誇りを持てる業界にする! 店頭で働くスタッフに光を当てる! お客様からありがとう、といわれる業界にする! そんな思いで情熱リーグはスタートしました」



共に実践



共に感動



共に成長



をテーマに始まった第1回ぱちんこ情熱リーグ決勝大会はこうして開幕した。



決勝5チームのプレゼンテーションは次回につづく。



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