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御年88歳。現役を引退して久しいチンドン屋の大将の独白である。
仕事は東京でやっていた。チンドン歴は60有余年。
業界に入った昭和30年代が一番忙しく、パチンコ店の仕事が多かった。
昭和40年代を境にチンドン屋は衰退して行く。テレビの普及と共にチンドン屋は古臭いものとして捉えられるようになり、さらにチンドン屋に取って代わったのが宣伝カーだった。
そして、昭和50年代に入るとチンドン屋の需要はなくなった。
それでも大将がチンドン屋稼業を続けてこられたのは、在日だったため、横のネットワークからパチンコホールの仕事などで食いつないできた。
チンドン屋が、チンドン屋の存在感を発揮するのがチラシ配りだ。街頭でチラシを配ってもなかなか受け取ってもらえないが、チンドン屋が配ると受け取ってくれる率がグッと増す。
チンドン屋とは宣伝活動を手助けする部隊なので、クライアントが伝えたい情報を確実に受け取ってもらわなければいけない。その役割を果たしているから未だにチンドン屋は存在している。
「昔はチンドン屋の宣伝がパチンコ屋の開店案内だろうが、子供がついてきて行列ができたものだ。その当時の子供がパチンコ屋の宣伝について行って大人になってから客になることだってあったもんだ」(大将)
大将は昨今のパチンコ業界の広告宣伝規制のことも当然知っている。
「規制が厳しい今だからこそ、チンドン屋を使うべきだ。なぜか? 逆に珍しいからインパクトが残るだろ。高い芸能人を呼ぶよりもチンドン屋を使った方がいい。商店街を練り歩くだけでなく、店の前でも宣伝してくれる」(同)
最近、商店街立地のホールがグランドオープンの日にチンドン屋を使うケースは珍しくない。
「3人がワンセットで1日10万円。値切れば安くなるよ。もうちょっと、チンドン屋をイベントに使う発想が欲しいね。昔は何のコーナーが今なら空いているというだけで、お客さんも集まったもんだよ」
それって、第三者にイベントを告知させている、となってギリギリアウトになる可能性はある。
写真のチンドン屋は生活保護受給者が多く住む地区で撮影したものである。この日は生活保護受給日。生活保護受給者が多く住む商店街を練り歩くことで集客を見込む。

批判を浴びることになるが、この界隈のホールは生活保護受給者が一定数ホールの顧客となっているのも事実である。
それを見越して日本維新の会は生活保護受給者がパチンコやギャンブルを禁止にする生活保護法の改正案を昨年12月に参院に提出している。
オチが完全にチンドン屋の話しからそれてしまった。

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