パチンコ日報

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タンポポの様なホールを始める夢に向かって準備中

還暦にリーチが掛かったところで、勤務していたホールの最後の店舗が閉店して無職になったAさんの物語だ。

Aさんは昔からパチンコ好きで、それが高じて大学を卒業するとホール企業に就職した。パチンコ業界一筋だったが、出世欲がないAさんは最後まで店長になることはなく、主任止まりだった。

無職になったことを四国の実家の父親(88歳)に伝えると、動産・不動産を引き継ぐことになった。昔は手広くミカン農家をやっていて、地元では資産家として知られていた。

父親は昔から稼ぎは資産価値が目減りしない金に換えて、コツコツと資産を増やしていた。最後に金を買ったのは2000円時代だった、という。年代物の金庫の中には、インゴットがぎっしりと詰まっていた。

金1gがとうとう1万円を突破した。これを受けて、金庫のインゴットの価値を調べて、腰を抜かした。1g 1万円換算で90億円分に達していた。

Aさんは就職しても実家から毎月30万円の仕送りをずっと受けていた、という。どれだけ甘やかされて育ってきたかが垣間見える。加えて、この年まで独身を通しているのだから、自由気ままな人生を送ってきたことが分かる。

莫大な財産を引き継ぐことになったAさんは、早速算盤を弾いた。相続税で55%も国に取られるにせよ、40億円余りが転がり込んでくることになる。

人生も終盤にさしかかっているが、Aさんには夢がある。それはNHKのドキュメント72時間でも取り上げられた福生の「タンポポ」のような店を自分で経営することだ。

Aさんはスロットに違和感を持ち、プロ連中が集まるようなパチンコ店の雰囲気が嫌いだった。テレビで観たタンポポのような、ほのぼのとした雰囲気の店を自分の手でやりたくなった。

資金的な問題はないが、タンポポのような雰囲気の店を探すことから始めなければいけない。Aさんのイメージでは函館の「富士」のような店を理想としている。

一方のレトロ台は蒐集家がいるので、そういうルートを使う算段をしている。

店長にはならなかったが、釘はずっと叩いていたAさんが、一番やりたいことは、釘の講座を開いて、客に自分が思い描く理想の釘を自分で叩かせて、それを打たせることだ。

ゲーセンとは言え、自分で釘が叩ける店はどこにもない。自分で叩いた釘なら、大当たりしなくても納得がいく?

理想としては既存店の横でタンポポのような店を出し、どちらが大衆から支持されるかを見届けたい思いがある。



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