パチンコ日報

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年1回玉運びに汗を流すオーナー

倒産寸前の実家のホールは、多額の借金があってRCCの管理下に置かれていた。



競売にかけられる寸前だった。実家の危機を救うために、年収1億円の仕事を捨て、実家の立て直しに入った。34歳の時だった。



14年間はサラリーマン生活を送っていた。金融機関に7年、外資系の保険会社で7年。この時、生命保険のトップセールスとして年収1億円を稼ぎ出していた。



この分野のセールスレディーは使い捨ての側面が高く、営業ノルマを達成するために、まず身内の契約を取るものだが、そんな営業先ですら、保険の仕組みを説明して、ひっくり返す力を持っていた。



サラリーマンといっても個人事業主に近いものがあった。契約を取れば取った分が収入となった。そういう生活を送っていたので家業を継ぐ気もなかったが、父親も継がせる気はなかった。



ホール経験はなかった。立て直しメンバーを集め、現場で一緒になって表周りに汗を流すことから始めた。



その姿を見て金融機関は「これは競売にかけられない!」と判断を下した。



借金を返済するのに4年かかった。



その時、金融機関からかけられた言葉が今でも脳裏に焼きついている。



「RCCから卒業してください。もう十二分に返済してもらいました」



一生忘れられない最高の言葉を贈ってもらった。



ポリシーはホールを身内に世襲させないこと。自分の子供に会社を継がせる気持ちはさらさらない。世襲が当たり前のパチンコ業界にあっては特異な存在でもある。



実際に40代半ばで社長を退き、一般社員から這い上がった人材を社長に就任させた。



「100年企業を目指しているので身内では続かない。能力のある者が社長になればいい。サラリーは多ければ多いにこしたことがないがきりがない。それよりも夢をきっちり持った方が皆、楽しんみながら真剣に仕事ができる」とキッパリ。



4年でRCCから脱却した真髄はこんなところにある思いがする。



「お客様のために何かしたい。常連のお客様から何か一つ褒めてもらいたい。どうやったらお客様から褒められるか。そのためにはバカなこともしました。バカなことをすると無心になれる。無心になると必死になるので、利益も考えない。とにかく無心になれる回数を増やした。見えない付加価値を徹底的にやった。お客様の幸せは、必ず跳ね返ってくる。だから徹底的にやった。形式的なあいさつはいらない。熱意のある想いは伝わる」



今でも年1回現場に出て玉運びをする。しかも一番忙しい海コーナーを志願する。1日で1キロは痩せるほど汗を流しながら玉運びに勤しむ。



それは現場の大変さを思い出すことと、謙虚な気持ちを忘れないようにするためだ。



「声の大きさと笑顔と流す汗の量は、今でも現場には絶対負けない。笑顔は自分が楽しんでいるから勝手に笑顔が出る」



一度その姿を見に行きたいものだ。何かを感じることだろう。





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