これ、普通の販社ならさほど驚かないのだが、ホールとなると俄然興味がかき立てられる。
ケースは少ないが一般社員から社長になれるホールはあるが、大手ともなると取締役が限界でもある。
大阪市内で営業するホールの社長に就任したのは昨年4月から。
店舗マネージャー時代から財務から金融機関との交渉まで経験していたが、部長から一足飛びに社長になった。
部長から社長になって何が変わったのか?
「以前は自分の店舗のことだけを考えていたが、社長になって業界のことを考えるようになった。自分でも考え方が進歩した、と思う」
きっかけは東日本大震災だった。
自身が阪神大震災を西宮で経験した被災者でもあった。その時、ライフラインも断たれ不自由な生活を体験している。
追い討ちをかけたのが石原都知事発言を発端としたパチンコバッシングだった。
「私自身東北の出身なので、居ても立ってもいられななくなりました。それで5月に南三陸町にボランティア活動にでかけました。ホールで募金という方法もありますが、お客様からは『ワシらのカネ』といわれるだけなので、募金は社員から集めて送りましたが、それよりも現地に行くことを考えました」
自らが先発隊として行動を起こし、5月から8月にかけて全社員(23人)が何班かに分かれて南三陸町を訪れ、ボランティア活動を行った。
ある者は学校の草むしりをしたり、ある者は土嚢作りに勤しみ、ある者は復興市の手伝いをした。
「社員にはいい経験ができた、と思う。被災者の方から聞いた話は心に残っている。現地で知り合ったボランティアの人たちとのつながりは未だにフェイスブックなどを使って続いている。自分で考えたことを行動できるのが社長の魅力」というように、この全社員が参加してのボランティア活動は社長就任後の大きな活動であり転機でもあった。
このボランティア活動の背景にはもう一つの理由があった。
それは「利他の心を持て」という教えだった。
自分のためだけではなく、誰かのために生きる、という考え方だ。
「自分さえ良ければいいという考え方が、パチンコ業界は特に強い。本当は業界全体が良くなければ自分の店もよくならない。サラ金業界のように規制を強化されたら業界が吹き飛んでしまう。許認可営業という意味が分かっていない人が多すぎる。もっと襟を正さなくてはいけない」
ホールと違ってメーカーは横のつながりがあるように写るが、他社を出し抜いて自社だけの利益を考えている。この考えをなくすことが必要だ。
ホールのみならず、メーカーも利他の心を持つことが、パチンコ業界を救う。
そんなことを若き社長から感じ取った。

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