パチンコ日報

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善と悪 好きと嫌い

「会社を作るのは自分の勝手だが畳むのはそうはいかない。自分の会社をあてにしてくださる方が一人でも、一社でもある限りそんなことは許されないのだ」

誰が言ったのかそれとも本で読み知ったのかは忘れましたが、この言葉には正理があります。しかし商売が繁盛せず下降線を辿っているにもかかわらず、商いを続ける行為は現実的にかなり厳しい状況に立たされるわけです。

それでも続けることが商いをする者の使命であると説いているわけですから、仕事に対して余程の愛情や熱情がない限りそうはいかないのでしょう。

私が知っている企業の中でも閉店、譲渡などの手法を駆使し新たな出発を試みるオーナーさんがいらっしゃいます。手短なところで国からの補助金をあてにして福祉関係の経営に走る方もいらっしゃいます。

私はそれを悪く言うつもりは全くありません。それは人様が決める人様の人生ですから私に何かを言う権利などさらさらないのです。ただその行為が好きか嫌いかと問われたら、私は嫌いです。好き嫌いに理屈はありません。ただそれだけのことです。

さて、パチンコの善と悪を意見される方々がいます。それぞれに言い分があり、もっともな理論がそこに付随してきます。

ただ、仮に心が100%の真実だとするならば言葉は嘘をつきます。さらに嘘が多いのが文字です。かくいう私もこうして記事を書いているわけですが、自分の正直な思いを100%文字に表しているのかというとそうではありません。とどのつまり私は自分の心に対して少なからず嘘をついているのです。

ことの善悪を述べるとき自分の主張を妥当なものにするために多少の嘘をつきながら相手を論破しようとします。その意見に対してさらに嘘が混じった反論が返ってくる。これを永遠に繰り返すわけです。

だから私はことの善悪に対して言葉を入れないのです。反面、自分の心や思いに比較的嘘のないものは感情です。単純な感情中に好き嫌いがあります。先ほど書きました通り、パチンコ経営を途中で投げ出し、その店のファンがいるにも関わらず店を閉めてしまうオーナーの善悪を問うことはしません。

ただし好きか嫌いかの感情は誰しもが持ち合わせているのです。だから私は嫌いだと申し上げました。

日報では比較的ストレートな表現が多いです。汚い表現、低俗な物言いを私は嫌います。

しかし、以前にも私の記事に対するコメントの中で「私は純粋にパチンコが嫌いなんだ!」という表現は真実そのものだと思うのです。だから時折目にすることができる人様の真実が掲げられているパチンコ日報が好きなのです。加えて私はパチンコが好きです。

皆さんはパチンコが好きですか?それとも嫌いですか?



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