パチンコ日報

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昔のホール内中和戦略 その①

大変ご無沙汰しております。
元店長です。

先日、伸びているホール企業の二つの共通点を聞きました。これに関しては、営業1号さんが記事を書くと思いますので省きます。

この二つの共通点を聞いた時に、思い出した話がありましたのでご紹介致します。

非常に過去の話で恐縮です。40玉交換時代の話です。

現在、パチンコはギャンブル、ギャンブルと言われていますが、いつ頃からパチンコはギャンブルと言われていたのか?

最近の業界人は知らないでしょうね。

私が業界に入った約30年前、40玉交換でラッキーナンバー制の時代に既にギャンブルお言われていました。セブン機の出現がギャンブルの始まりのきっかけですね。

等価交換へ向かって突き進むと、ギャンブル性アップに拍車がかかりました。

異業種から参入した、ホール企業があります。業界人ならば一度は名前を聞いたことがある大型ホール企業です。マルハンさんやダイナムさん、キコーナさんレベルではありません。

まだ、世の中にセブン機がない時代に1号店を出店。地元名士の経営ホールです。だから意地でも失敗は出来ないし、出ないホールとも言われたくない。

1号店グランドオープンの初日。出し過ぎて90分で閉店になりました。

総台数300台。機種は、チューリップ台200台、電役台100台。スロットはありません。
チューリップ台は全台打ち止めになりました。

それでもオーナーは大満足だった、と当時の話を聞かせてくれました。
開店釘を叩くメーカーの営業マンには、2時間で打ち止めになるように指示。チューリップ台2000個、電役台3000個終了でした。

貸玉3円の時代で、交換率が1.5円。
つまり、チューリップ台を打ち止めにしても3000円でした。今と物価が違いますが、こんな時代だったのです。まさにパチンコは娯楽の殿堂と呼ぶに相応しいレジャーでした。

その店舗が他よりも真っ先に飛びついたのがセブン機です。オーナー自ら、先行導入したホールへ出向き、試打をして、その場で100台の導入を即決しました。

しかし直ぐには導入出来ないと知りました。当時の補給機は、セブン機に対応していない、ゆっくりとした補給機だったからです。島ごと全て設備を変えました。

その頃は、貸玉3円から4円に。交換率は40玉交換に。

今の業界人の大半は知らないでしょうが、当時のセブン機は、一回数字が揃うと、打ち止めまでまっしぐらでした。30秒毎に開くVゾーンに玉が入る限りは、定量まで出っ放し。

セブン機の営業方法は、大きく分けて2通り。
打ち止めについては、このスタイル。

①完全定量制

②店側が設定した定量にお客様側のプラ打ち込み数をプラスしたもの

つまりまだラッキーナンバー制なんか無かった。

当時の玉箱は、1500個とか3000個が入るものはありませんでした。
何を利用したと思いますか?

金属製のバケツ!



バケツを足元に置いて、それに玉を入れるんですよ。昔を知る業界人は、あの光景は懐かしいでしょうね。

従業員の煽りマイクは「253番台のお客様やりました、三共フィーバースタート!」とアナウンスと同時に足元にバケツが2個置かれたり。とりあえずは2個。

「188番台のお客様!西陣ターボ、バケツ5杯目に突入おめでとうございまーす!」

当時バケツ10杯なんて光景もありました。10杯だと15000個から20000個。バケツの大きさや玉の入れる量にもよりますがね。

以上のような思い出を読むだけでも、ホールが鉄火場だった事がお分かりだと思います。

つづく



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