パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

在日を生きる =町内会と共生する思い=

町内会の重臣から、

ゴルフコンペの参加について説明を受けた。

熱心だ。

とにかく催しモノには格別な熱心さを感じる。

彼らには朝鮮人だからという

ワダカマリもヘダタリもない。



思い起せば、わたしの幼い頃は

差別と偏見、蔑視の傷跡を負った時代といえる。

にんにく臭いといって、いつも遊び仲間の

遠くに追いやられていた。



いまのニュース沙汰になるようなイジメに

比べようにもならん次元の残虐さを感じている。



八百屋さんに大根の葉っぱをもらって帰る道で

大勢に待ち伏せされて道をふさがれた。

朝鮮人は可哀そうとヤジられて、

股の下を潜って行けと言うので・・・

その時、足で蹴っ飛ばされた。

葉っぱは散らばって、

泣きながら拾い集めた記憶は

今も生々しい記憶として残っている。

(大根の葉っぱのキムチは独特の歯触りで風味も格別、

いまは、日本のひとが好んで食べている)



家に帰って、悲しむオモニの顔を見るのが辛くて、

何度もひとり悔し涙をのんだ。

これが差別に反抗して向き合い始めた

キッカケのような気がしている。



幼い頃にあった民族差別の

数々の傷跡は今になっても・・・

やり場のない哀しい記憶として、

脳裏に刻まれている。

差別に目覚め、

階級意識を開花させていったのも、この時だ。



ふと、そんなことがよみがえるのは、

町内の日本の人々が優しいからである。

優しさの和みの、反動なのかカラダの硬さがほぐれそう。

今日も家の真向かいに誇らしげに咲く、

「さつき」の花が話題になった。

ツツジよりも1カ月ほど、遅く咲くので、

サツキの名がついたと言われるが

ツツジを待たずに大きな花びらを

満開にさせたので近所の話題になっている。



「今年こそ、夏祭りに参加したいんですけど、

どうしたらいいんですか」」と提案して見た。

花見だ、食事会だ、葬式だ、旅行だの・・・

昔から町内とのおつき合いには、格別な注意をはらってきた。



各地転々としながらも、

日本の人のなかでも生き甲斐を感じられるように・・・

大阪に住んでからは、

差別や違和感もなく、すごせたのは・・・・・

民族がひしめく日本唯つの在日的大都会のセイだったのだろうか。



たまに、近所の井戸端会議に、すり寄った時には、

在日として民族を生きる宿命のようなものが切迫してくる。

在日として、「共存して生きる」ことを思い知らされる。



折り入って、

身の上話を打ち明けることもある。

むしろ在日には言えない事柄も

民族を超越した・・・

人間的信頼関係からしてか・・・



朝日親善とか日朝友好とか、

どっちが主催で

どっちが主導じゃなくて、

共に助け合い生きることを前提に・・・

お互いに尊重しあうことを理解しながら・・



北とか南との政治対決に影響されることもなく、

総連とか民団の投げやり的な主義の主張にも左右されない。

日本のなかで在日が共存して民族を生きるには、

それらの利害関係に影響されることなく、

独創的ものが体制づくりにあるべきだと

切に願わざるをえない。



激変する半島情勢と日本の狭間で

生きる在日の葛藤や矛盾、限界がいりまざっている。

模索するにも、あまりに遅すぎた・・・







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