パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

都内大豪邸、パチンコ台10台の秘密

都内高級住宅街の大豪邸にタクシーを走らせる、これだけでドライバーにとっては「一流のお客様か」と期待感が膨らむものだ。

ある日のこと、私が運転したタクシーにそんな特別な瞬間が訪れた。目の前に広がる豪邸から出てきたのは、見るからに風格のある2人組。「さて、どんな大物か」と胸が高鳴る。

その2人を乗せて車を発進させると、後部座席から興味深い会話が漏れ聞こえてきた。何と、この豪邸内にはパチンコ台が10台も設置されているというではないか。私の頭の中にはすぐさま「豪邸にパチンコ台10台…これは一体どんな趣味人だ?」という疑問が渦巻いた。

2人は、豪邸の中に並べられたパチンコ台について熱心に語り合っている様子だ。どうやらただの遊びではなく、何やら特別な意味がありそうだ。途中で1人を降ろした後、思わず私は話しかけた。

「私もパチンコ好きなんですよ。あの豪邸のパチンコ台、すごいですね」

この一言で、さらに面白い話が聞けるとは思いもしなかった。驚いたことに、その豪邸の家主は来訪者にパチンコを楽しませるために、わざわざ台を10台も並べているのだという。これだけでも十分に「変わり者」としての印象は強烈だが、話はここで終わらない。

何と、客人には全員500玉が手渡され、パチンコを打つのだというのだ。500玉が尽きるまでがゲームのルール。つまり「全てが運次第」というわけだが、ここからが面白い。もしこの500玉で大当たりを引き当てたら、なんとその場で家主が小遣いをくれるというのだ。

しかも、1玉10円換算。つまり、1000発出せば1万円の現金が手に入るのだ。ただし、ここにもまたルールがある。最高で3万円、つまり3000発が上限。どんなに運が良くても3万円以上はもらえないという。

さらに興味深いのは、パチンコ台の釘調整だ。「これがまた渋い」とのこと。一般のパチンコ店以上に回らないというのだ。つまり、500玉を使い切る前に大当たりを引くのは至難の業、まさに運が試されるというわけである。

しかし、考えてみれば、これほど面白いおもてなしもない。客人にしてみれば、ただで500玉をもらい、あわよくば大当たりして最高3万円を手に入れるチャンスがあるのだ。

「無料で楽しめて、おまけに小遣いまでもらえる」というのだから、招かれた者にとってはこの上ない娯楽であろう。

それにしても、この豪邸の主は一体何者なのか? メーカーの社長か、それともパチンコホールの経営者か? ますます興味が湧いてくる。運転しながらも、私はこの謎の人物の素性が気になって仕方がない。都内高級住宅街の大豪邸とパチンコ台10台、そして「おもてなし」から始まる豪快な遊び心。

これはただの金持ちではなく、何かしらの秘密があるに違いない、と私の想像力は止まることを知らなかった。



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中央線グリーン車で加熱式たばこを吸ってしまったホール社員の業界常識

JR中央線快速にグリーン車が2両連結され、去年10月13日からことし3月14日までの間、グリーン料金なしで乗車することができる。これは、グリーン車のサービス開始までの「お試し期間」として、全席自由席で普通車扱いで運行されているためだ。

無料でグリーン車に乗れることから、早くも乗客のマナーが問われ、喧嘩に発展するケースも起こっている。

例えば隣に他人を座らせたくない心理が働き、荷物を置いて他の人が座れないようにするケースが散見される。特に2階席は荷物を置く棚がないために、大きい荷物は座席に置くか、通路しかない。通路に置けば完全に通行の妨げになってしまう。

ある日の夜、四谷から乗ってきた少し酒が入った中年男が、荷物を置いている人に「空いていますか?」と声を掛けた。ところが、声を掛けられた男がこれを完全無視してしまった。

酒が入っている中年男は「無視するな!」と一喝。「これはお前の鞄じゃないんだな」と言葉をつづけた。

すると無視を決め込んでいた男は「俺のだ!」と応じた。

鞄をどけて席を空けろと口論に発展した。すると、第三者が仲裁に入ると共に、咄嗟に「非常ボタンは押さないで!」と大声を挙げた。

車内でトラブルが起きると、中には非常ボタンを押して列車を止めてしまうケースがある。一度電車を止めると簡単には運行を再開できない。みんな帰宅を急いでいるので、そんなことにならないようにする配慮だった。

そのほか、グリーン車で弁当を広げビールを飲んでいる客に対して、「これは通勤電車なんだから弁当なんかくんじゃねえ。無料だから食ってんだろう。この田舎者が!」と喧嘩を吹っかけられたりする。

前振りが長くなったが、ここからが業界にまつわる本題だ。

グリーン車内で加熱式たばこを吸っている若い客に対して周りの客が注意した。すると「加熱式たばこは吸ってもいいんですよ。うちの会社や店では加熱式たばこをOKにしています」と応じた。

この反論に「お前、パチンコ店の従業員だろう。お前の低俗な店ではOKでも、JRはダメなんだよ! お前、何勘違いしているんだ」と詰められると相手は黙り込んでしまった。

この一部始終を目撃していた業界関係者がとある駅で降車した彼に声を掛けた。ホール企業に勤めていると確信して、やまかんで、具体的ホール名を上げ、「〇〇〇〇の人だよね」と呼び掛けると「はい」と応じた。

これがビンゴだった。

「オレ、業界人なんだよ。めし、おごるからちょっと話を聞かせてくれない?」

店に入って30分ほど話した。

新卒入社だった。年齢は20代後半。

普通の会社の一般常識が学べないことにギャップを感じていた。会社から教わるのは接客だが、それは一般常識とは異なる。

社会人になって一般常識が学べていない自分を恥じた。ホールという小さい社会に閉じこもっていたら、自店の常識を当てはめて、こんなことになってしまう。


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1983年の業界誌を振り返る――パチンコ業界黎明期の熱気

ネット検索をしていたところ、偶然にも前職の業界誌が1冊丸ごとPDFで読めるサイトに出くわした。それは1983年9月号であり、ちょうど筆者が入社して2カ月目の時期に発行されたものだった。当時、駆け出しの新人として担当していたのは、ホールのオープン記事の数々である。写真の記事でも分かるように、子供連れでも黙認される牧歌的な時代だった。

 

もちろん、当時は原稿は原稿用紙に手書き。まだ、その頃はタバコを吸っていたので、灰皿はいつも満タン。はかどらない原稿にイライラしていた。

 

 

この号を改めて読み返してみると、時代の空気を色濃く感じさせるものが多く、特に広告の数々が印象的だった。たとえば、SANKYOはまだ「三共」と漢字表記されており、見開き広告にはグラビアモデルデビューしたばかりの斉藤慶子を起用していた。広告に並ぶのは「フィーバー」と「キングスター」。いずれも当時の同社の主力機種だ。発売からはだいぶ時間が経っているが、時代を象徴するラインナップだ。

 

 

業界の動向と市場規模

 

業界ニュースを振り返ると、1983年は業界全体が急速に成長していたことが分かる。その一例が「遊技産業経営専門高等学院」の開校である。この学院は業界の釘学校とも言える存在で、メーカー各社の協力のもと東京に設立された。学院理事長は開校の目的について、「この業界は年間売上が3兆円とも5兆円とも言われ、急激に発展していますが、経営教育部門の立ち遅れがあるため、多くのメーカーや商社の協力のもと設立されました」と語っている。

 

ここで注目したいのが、当時の市場規模である。三共の「フィーバー」が登場して3年あまりが経過し、各メーカーからもセブン機が次々と発売されるようになった。しかし、この頃の市場規模は3兆円から5兆円とされていた。当時のホールオーナーたちは成功を実感し、ようやくクラウンに乗れるようになった時代だった。ゴルフ場はクラウンで埋め尽くされ、業界の発展を実感できる時期だったのだ。

 

その後、1995年には全国のホール数が1万8000軒、市場規模30兆円、遊技人口3000万人という黄金時代を迎える。1983年は、まさにその爆発的成長の前夜とも言える時代だった。

 

手打ち式パチンコの人気

 

この号を読んでいて特に目を引いたのが、大阪・道頓堀の「マルタマ」で手打ち式パチンコがいまだに設置されていたという記事だった。「ヤングにも好評! 根強い人気の手打ち式パチンコ」という見出しが躍る。

 

 

ホール店長のコメントも興味深い。

 

「もちろん採算性を考えればホールにとって大きなメリットはない。しかし、他店にない機種を取り揃えることは、多様化するニーズに応えることになり、ゆっくりパチンコを楽しみたい年配客には結構好評です」

 

この言葉からも分かるように、当時はまだ手打ち式パチンコが一定の需要を持っていた。1980年代初頭はセブン機が普及しつつあるものの、従来の遊技スタイルに慣れ親しんだ層に向けたサービスも必要だったのだ。

 

イメージ刷新でDJブース

 

従来のホールイメージを刷新するために、ホール内にDJブースを設けたのが兵庫・姫路市の「アップル」だ。従来のホールのBGMといえば演歌が中心だった。幅広い客層を取り込むためにBGMを変えるだけでなく、そこにDJを採用する、というのがホールオーナーのアイデアだった。

FMラジオで活躍する女性アナウンサー2名を起用した。音楽機材だけで500万円かけ、スタジオの天井ライトは音楽に合わせて点滅するディスコ調に仕上げた。

放送は1日2回。最新の情報や地域のトピックスを織り交ぜながら、音楽はロックやポップス、ニューミュージックを流した。

「おかげさまでヤングや女性客にも評判上々です」と店長もご満悦だった。

 

 

アレンジボールの時代

 

また、当時の新機種動向を振り返ると、太陽電子がまだアレンジボール専門メーカーだったという点も面白い。アレパチという商標登録で、玉が出るアレンジボールだった。例えば、大阪・豊中市の「ヘリオス」では総台数250台のうち、35台に最新鋭のアレパチ機「スロットル5号―15B」を導入していた。従来は最高得点が10点だったものが15点にアップし、より高得点を狙える仕様になっている。

 

 

新機種紹介コーナーを見ても、掲載された8機種のうちセブン機はわずか1機種であり、残りはハネモノやアレンジボールといった多様な機種が占めていた。現代のパチンコ市場はセブン機一辺倒になっているが、当時はまだ多様な遊技機が市場に存在し、選択肢の幅が広かったのだ。

 

 

業界誌の編集事情

 

当時の業界誌は郵便料金が安くなる第三種郵便で発送されていた関係で、広告と記事の割合を半々にする必要があった。今では考えられないことだが、とにかく広告ページが多かったので、記事スペースを確保するためにホールのインテリアを見開きで紹介するコーナーで埋め草ページを作っていた。当時はまさに出店ラッシュの時期であり、設計事務所や島飾り、装飾関連の広告も非常に目立っていた。

 



 

40年前を振り返って

 

こうして1983年の業界誌を改めて振り返ると、市場規模は3~5兆円と現在の15兆円よりもはるかに小さいが、そこには確かな成長の手応えと未来への期待があった。現在の市場規模15兆円という数字は、業界の成熟とともに停滞を感じさせるものでもある。当時の3~5兆円は右肩上がりの発展途上の数字であり、今の15兆円は下降線をたどる中での数字である。その違いは決して小さくない。

 

1983年の業界誌には、当時の業界の熱気や期待感が詰まっている。それを知ることは、現在の業界の状況を理解し、未来を考える上で貴重な手がかりとなる。

 

 

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遊技機メーカーから水筒メーカーへ転職した男が語る「ものづくり」の本質

遊技機メーカーから水筒メーカーへ転職したという一人の技術者の話が届いた。 彼は転職後、2社の経営方針や開発姿勢の違いに驚きを隠せなかったという。

「遊技機メーカー時代は『一発当てろ!』『ヒット機を作れ!』と上から檄を飛ばされ、常に緊張の中で働いていました。今の現場では、地道なものづくりを大切にし、お客様の立場に立ったデザインと機能性を追求しています。この違いは非常に大きい」と彼は語る。

遊技機業界は、ヒット作の誕生が収益を決める。新台のリリースごとに「当たり」を狙う開発が求められるが、一度当たったからと言っても、それが安定したパフォーマンスを発揮することはないのが現状だ。

国内の水筒市場は、年間約2000万本が販売され、持続的かつ安定したニーズがある。例えば、2023年5月時点のNintの推計データによれば、Amazon、楽天市場、Yahoo!ショッピングの3モールにおける水筒の市場規模は、いずれ同時期と比較して103%を記録しております、堅調な成長が続いている。

また、環境意識の課題を背景に、マイボトル市場も拡大している。 2021年のアンケート調査では、持ち歩き可能なマイボトルを使用している人の割合が75%に達成し、習慣として定着しつつある。

それに加えて、子供が保育園や幼稚園に通い始めるときに水筒を購入する家庭が多く、小学校に入学しても低学年と高学年では、成長段階に応じたサイズやデザインの変更により買い替え需要も生まれている。

これに対して遊技機メーカーの開発姿勢は、短期的なヒットに依存しており、地道な積み上げよりも派手や話題性が優先される傾向が強い。

実際、遊技機業界で安定して売れ続けている製品は限られている。その代表例が三洋物産の「海物語」と北電子の「ジャグラー」だ。これらが長く愛されている背景には、オリジナル版権であることにも注目した。

一旦、版権に依存した機械開発は、一時的な集客効果があっても、長期的には版権を提供する企業を潤すだけ過ぎない。

「遊技機メーカーには、もっと腰を据えて安定した機械作りを考える発想が必要だ」と彼は指摘する。

いつまでもあると思うな親とカネ、という諺がある。その言に倣えば、メーカーもいつまでもホールが機械を買ってくれるか分からない。儲からなければ新台の入れ替え頻度も台数も減って行く。ホールとしては長期に亘って運用できる機械を望んでいる。

ホール側の運用にも問題はある。

昔は稼働が悪くなれば、割を上げて稼働を掘り起こしたものだ。それは40玉交換だからできたことだが、等価では簡単に割を上げることもできない。今は稼働が落ちれば、すぐに諦めてしまう。稼働が悪いのはホールが玉を出さないことが根本原因でもある。

話しを戻そう。

彼が水筒メーカーで学んだのは「ものづくり」における安定感の重要性だ。目先の流行や派手な話題に頼るのではなく、顧客に長く愛される製品を追求する姿勢こそが、真の成功を生む原動力になるという。遊技機業界がこの視点を取り入れることができれば、さらなる発展の可能性が広がろう。

遊技機メーカーから水筒メーカーへ転職した技術の言葉は、「ものづくり」の本質を考えさせる機会を提供している。業界全体で共有することが求められる。



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ホールオーナーのトマト愛が止まらない!? オムライスとナポリタンに賭ける第二の人生

かつては何店舗あったのかも分からないが、現在4店舗になるまで縮小してしまったあるホールチェーン。実はこの4店舗のうち、2店舗は既に閉店予備軍という状態だ。70代のオーナーはホール経営の意欲は失せている状態だ。

元気に働けるのも後10年余りと読んでいるオーナーは、現在、自分が好きなことに情熱を燃やしている。いずれ、それを商売に店を出店する計画で、成功すれば社員にのれん分けまでを視野に入れている。

では、オーナーが情熱を傾けているのは何かといえば、それはオムライスとスパゲティーのナポリタン。自分自身で作って知り合いに振舞っている。ケチャップ料理がとにかく大好きで、スペインのトマト祭りには8回も行き、自宅の庭では自分でトマトを栽培しているほどの筋金入りのトマト好きだ。

オーナーのケチャップの拘りは、カゴメの「特級品ケチャップ」を使うこと。


業務用の3.3kg缶が1676円、標準は1334円、と少し割高がある。オーナーは「完熟トマトがふんだんに使用されている特級品」と標準で作ったオムライスを業界の仲間に試食させたところ、「特級ケチャップの方が確かにコクがあって美味しい」と評価されたそうだ。

では、オムライスの卵はどうかというと、ここは意外にも普通の卵で十分らしい。その理由は、特級ケチャップの濃厚な味わいが卵の風味を消すので、卵に高級品を使っても意味がないという考え方だ。

そして、このオーナーの最終目標は、オムライスとナポリタンの専門店を出店することだ。 現在はパスタ専門店で修行をし、メニューのバリエーションを増やそうと奮闘中だという。

店が成功すれば、社員にのれん分けまで考えた店舗展開を夢見ているのだ。

ここで注目したいのは、オムライスやナポリタンの原価率が1割程度に抑えられるという点だ。パチンコ業界で戦ってきたオーナーにとって、この原価率の低さは非常に魅力的に映る。

かつてオーナーは、パチンコに情熱を注いでいた。自分自身がパチンコ好きでもあったが、店を出せば出すだけ儲かったからだ。今は、どんどん店を閉めて行っている様に、儲からなくなったから情熱もなくなった。実にシンプルな理由だ。

でも、人間というは不思議なもので、好きなことには情熱を注ぎ続けられるものである。 好きこそ物の上手なれという諺があるように、好きなことに興味を持って熱心に取り組むため、上達するための工夫を自発的にでき、努力し続けることが苦にならないため、自然に物事の上達が早くなりやすい。

そんなオーナーの姿を見ていると、やはり人生は一度きり。好きなことに情熱を注ぎ、楽しみながら過ごすことが大切なのだと感じる。

もしかしたら、数年後はオーナーのオムライスとナポリタン専門店が街に登場し、行列ができる人気店になっているのかもしれない。そして、そこで食べるオムライスには、特級品ケチャップのコクがたっぷりと感じられることだろう。

「トマトに愛を注ぎ続けたオーナーの最後の挑戦」。店の看板には、こんなキャッチコピーが書かれているかも知れない。



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