Aさんはとにかく古いものが好きで、古いパチンコ台以外には廃屋マニアでもあった。廃屋を求めて愛用のバイクにまたがり地方を遠征することもある。地方には人の手が入っていない廃屋がゴロゴロしている。
お宝を発見すると近所の人に持ち主を聞いて回り、許可をもらって家の中に入る。廃屋の中は長い間時間が止まっている。
昭和45年の大阪万博の記事が掲載されている新聞を発見すると小躍りした。古いコーラの瓶、ホーローの洗面器、昭和40年代の家電…Aさんにとってはこれがすべてお宝となる。
家主にはゴミでもAさんには垂涎の的。事情を説明すると「全部持って行け」となる。
それは岩手県に遠征した時だ。お目当ての廃屋を発見すると持ち主を探して、交渉する。
その“物件”は今から55年前まで住んでいたが、新しい家を別の場所に建てたために廃屋となっていた。
ここで正村式時代の超お宝を発見することになる。
それは豊国遊機製作所のパチンコ台だった。朽ち果ててボロボロになっているが、ブリキに書かれた社名から豊国の文字が読み取れた。

日工組の資料によると豊国遊機製作所は昭和27年ごろのメーカーで、正村がゲージの神様とすれば、豊国の菊山徳治氏は連発式オール20を発明していた。それ以外にははったり付きオール10を世に出す。当時は入賞口の装飾をはったりといい、顧客の目を楽しませた。
このタイプは昭和28年ごろパチンコの主流をなした。
パチンコ業界では正村はあまりにも有名だが、その陰で菊山もなかなかの発明家である。
Aさんは豊国であることが分かって全身の毛穴が開くほどの興奮を覚えて。パチンコ業界の歴史を語る上でも非常に貴重な資料となるからだ。
Aさんが豊国に興奮するのは、長年メーカーの工場で働き、最後は工場長で定年を迎えた元業界人だからだ。入社当時からの自社製品は全部コレクションしている。
バイクではとても運べないので、地元のレンタカーを借りて廃屋から運び出す。
家主にすれば、朽ち果てたパチンコ台は単なるゴミ。
「こんなものくれてやる」
家主のおじいさんは、なぜ、こんな古いパチンコ台を持っていたのか、思い出せなかったが、ばあさんに言わせると「じいさんはパチンコ好きでよく打ちに行っていた」とのこと。
Aさんにとってまたお宝が一つ増えた。廃屋巡りの趣味の賜物でもある。

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