新たな一面
「店長、本当ですか。でもそれってため息つくような悪い話じゃないでしょ。それに社長が誰にも言うなっていったのに僕にそんな大事な話し、しちゃ駄目じゃないですか」
カルティエの話の内容がそんなに驚くほどの内容ではなかったので少しがっかりした。
「社長の誰にも言うなっていうのはいつものことだ。別にたいしたことじゃなくても誰にも言うな、誰にも言うなってな。あれは人を同じ穴の狢にして囲い込もうとしてやがる。ま、そんなことはどうでもいいだけれどよ。新店舗の問題は俺にとっちゃため息が出てすむくらいならまだましで、下手したら死活問題にもなりかねねえんだよな、これが」
僕に言っているのか独り言を言っているのかどっちとも取れるような言い回しだった。やっぱり今日のカルティエはどこかおかしい。しかし話の内容を聞く限りそんな大それた問題ではないようにとれる。ところがカルティエの目はうつろで顔には全く覇気が感じられない。
「実はな、坂井よ。今度の新店の場所がな、昔俺が勤めていた店のすぐ近くなんだよ。社長から俺にそこに行けって言われてな、それで困ってるわけよ。俺だって人間だ。人生いろいろあるわけよ。人にもいえない過去っちゅうもんがな」
「それでなんですね。そりゃあまずいっすよね」
「そうよそれがまずいわけよ。ん?お前今何言った?何がまずいんだ、え?」
「何がって、店長がその店行っちゃったらやばいじゃないですか。だって奥さんのもとの旦那がいる店の近くなんでしょ」
と言ってからしまったとすぐに後悔した。
カルティエが前の店の部長の奥さんと駆け落ちしてきた事は西田事件の際に関口さんから極秘の情報として得ていたわけで、僕はそれをこともあろうか本人を目の前にして暴露してしまったのだ。
「お、お前その話しどこから聞いたんだ、え?」
カルティエの大きな顔が瞬時にして赤らみ、そして土気色に変色した。
「いえ、あのう、そのう、ですよね」
殆ど答えになっていなかった。僕はカルティエの怒りの前に俯くことしかできず、これから自分に降りかかってくるであろう、火の子の対処法はないかという極めて理性的な思考と、今すぐこの場から逃げ出したいという防衛本能のはざまに立っていた。
「関口だな。そうだろ。お前関口からそのことを聞いたんだろ。他に誰が知ってるんだ」
まさかスタッフ全員が知っているなんてことは口が裂けても言えるはずがない。僕は知りませんとしらを切ると同時に覚悟を決めた。
「ま、こっぱずかしいけど今更かっこつけてみても始まらんわな。その通りだ。新店で力を発揮して社長に俺の存在を認めさせるっていう願望もあるけれど、こればっかりはなあ。行けば必ずばれちゃうだろうし、だいいちかみさんがそこに行くわけがねえ。そうだそうだ、行けるわけがねえ。どうしてもって社長が言うんなら 俺の事情を全部話してあきらめてもらうしかねえか」
やっぱりいつものカルティエじゃない。僕はてっきり彼の私的感情によって当分の間究極のいじめにあうものと覚悟していたのにいささか拍子抜けした。そして安堵もしたのだが何だかカルティエが哀れに思えた。
鬼の店長も自分の奥さんにはすこぶる優しい。普段から絶えず奥さんを気遣い、彼女を見やるその視線は暖かい。この人は本当に奥さんを愛している。それがすぐにわかるほどにその態度は切実だ。
以前にカルティエが食堂で僕と木村くんを座らせてお説教をすることがあった。
「いいかお前らよく聞けよ。男ってもんはだな、本当に馬鹿な生き物だ。その馬鹿な男が生きて行く為にはどうしたって女の助けが必要なんだよ。え、わかるかお前ら。俺なんかかみさんがいなかったらとうの昔に宿なしのプー太郎になってたわい。いい女に巡り逢えばいい仕事にも巡り合える。うん、間違いないな、これは」
自画自賛のカルティは酔うほどに饒舌になっていく。
「俺はかみさんと結婚できたからこそこうやって店長になれたわけよ。つまりだ、かみさんと男の仕事は一対の鏡だ、っていうことなんだな、これが。わかるか、えっ?お前らにはわかんねえだろうな。お前らがそうやって独身でいるうちは大そうな仕事なんか出来るはずもねえ。結婚してかみさんを大事にしてから男の人生はスタートを切れるってえもんだ。それまではまだ半人前だっちゅうことよ。だからお前ら早くいい女めっけて結婚しろってんだ、え?このくすぶり野郎どもが」
酔っ払ってべらんめえ調ではあったが目だけは真剣だった。僕はこの時意外にもカルティエの言葉に聞き入っていた。結婚なんか考えたことも無かった僕であるが、何故か納得させられてしまう部分がある。そしてその姿を正直かっこいいとも思った。自分の奥さんをこれほど愛しているんだと人前で言うなんてことは僕には到底出来っこない。
つづく
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