例えばあり方として「顧客の信頼回復無くして産業の存続はない」という思想を心に念じてそれに伴う行動を取り続ける仕組みを模索する。以前にも申し上げましたが顧客のための思想が欠落していては商いの程を成しません。商いの程とはこれからの道筋を指します。
今後20年我が産業は、我が社はどうありたいか。それを必死に描いてみる必要があります。
「20年後のあるべき姿=ロマンの模索」とでも言いましょうか。
ロマンを慣れ親しんだ日本語でわかりやすい表現を使うとするなら『志』と言い換えることができます。『志』とは当たり前のことですが、真剣なものです。そして物事の根底をひっくり返すものとなるのです。誰からも「そうだ!それがいい」などと共感を得られるようなものは得てして志にはなりません。
それは現実を改善していくという程度のものであって、根本を見直すことにはならないからです。むしろ「そんなことは無理に決まっている」「今を見ろ!そんなことできるわけがない」などと否定的な意見が大勢を占め、皆から笑われるものが志となりうるのです。
・例えば20年後にはホールサイドとメーカーサイドとの機械開発会議が週単位で行われている
・例えば20年後には風営法からの脱却を図るべくパチンコ産業の誰かが経団連に名を連ねる
・例えば20年後には新卒の就職活動において人気企業ベスト10にパチンコが名を連ねる
例を挙げればキリがありませんが、いかがですか? 笑ってしまうでしょう。しかし私はパチンコ産業が20年後こんなふうになっていたらどんなに嬉しいことか。今働いているスタッフたちも浮かばれるのではないだろうか。これで親や子供たち、社会からも認知される。素晴らしいことではないだろうか。などと考えてしまうのです。もっともこれらの姿は顧客からの圧倒的支持が成り立っているのが前提であり、ホールサイドの自慰的行為を指しているのではなりません。
社会に名を連ねるということは自発的な行動も必要ですが、周囲から認められて、推されていくものが産業として長きにわたり活躍できるのではないでしょうか。
だから『志』を表明する者は皆から笑われ、「きれいごとだ」と揶揄されるのです。
それらの大勢を覆すほどの信念と必死さがあるからこそ『志』と言えるのではないでしょうか。
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