店を開いて最初の年末は、正月餅の他、クリスマスケーキまで販売することにした。和菓子屋がクリスマスケーキである。カステラでスポンジを作るノウハウがあるからだ。予約で30件も注文が入った。
しかし、正月餅づくりと並行して、クリスマスケーキを30個も作ることは窯の関係で物理的に無理だということが分かり、餅を持って返金しに行った。これが2回目の失敗である。
主力商品のカステラは評判を呼び、開業から9年目には店と工場を倍に拡張。従業員は10名を抱えた。ここからが苦労の始まりだった。
売り上げと借金返済を坪単価で計算すると、1日100万円の売り上げが必要になった。和菓子でこの数字はかなりハードルが高い。
何か仕掛けなければ、100万円を達成するのは難しい。この時考えたのが広告戦略だ。最初に手掛けたのはバスの車体広告。次にラジオCMで店の知名度を上げて行った。併せて自らが営業に出た。敬老会や老人ホームには足を運び、敬老の日用に饅頭や赤飯の注文を取った。赤ちゃんの出生の名簿を買い、お雛様、初節句、入学式用にDMを送った。
広告戦略と積極的な営業で3年目には、1日100万円の売り上げを達成することができた。
売り上げが軌道に乗ると、支店も次々に増やし、直営店は3店舗に。
その原動力となったのが、偶然発明した生クリーム大福だった。生クリームは使い切ることが当たり前だったが、たまたま余った生クリームを冷凍庫へ入れたら固まった。それを餅でくるんで食べてみたら、これがことのほか美味しい。
作りたてを冷凍し、後で蒸すと作りたての味になる。これなら大量生産もできる。製法は特許も取得した。
生クリームを余らせたことは失敗だった。しかし、失敗を失敗で終わらせずに、次のステップとして生クリーム大福が生まれた。
ヒット商品は当然真似される。次々に生クリーム大福を売り出す店が増えた。特許侵害で裁判もできたが、「真似した人は次のステップはない」と静観した。
ヒット商品もライバルが増えれば、売り上げにも影響する。そこにとどめを刺したのが堺市で発生した集団食中毒O157事件だ。カイワレ大根を犯人としながらも、売り上げが激減する。
この時に救世主となるのが百貨店への出店で、和風ロールなどの新商品も併せて開発した。
しかし、時代の流れは無情だ。
「赤字の時は店は縮小しなければならない。その判断がつかないと会社を潰す」と本店を残して後の2店舗は閉める。
「失敗から学び、良いものは機械化でもどんどん取り入れる。そこへたどり着くのに何十年もかかったが、お客さんから『美味しい』と言われることが菓子屋冥利に尽きます」と72歳になった今でも仕事場に立ち続ける。
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