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黄綬褒章から学ぶこと 上

天皇陛下からの褒章を受ける人物とはどのような人生を送ってきたのか? 一つの仕事に精励し、他の模範となるような技術や後継者の育成にも尽力した人に贈られる黄綬褒章を受章した人を取材した。

和菓子職人歴50年余り、話を聞いて第一印象は探求心が強いことだった。

高校を卒業すると親せきの和菓子屋に就職する。和菓子と言っても販売していたのは主に餅や団子。一番忙しいのは年末。除夜の鐘を聞きながら餅を配達した。毎日のように餅をこねさせられ「指紋がなくなるぐらいやらされた」と疑問を感じるようになる。

そんな時、スーパーで販売され始めたサトウの切り餅に衝撃を受ける。業界誌でも紹介された記事を読んで機械化に衝撃を受けた。

「こんな便利なものがある。これで十分。人間は成長する時に疑問を感じるものです」と自分のやっていることが正しいのかと思い始める。

ある年の正月休み、友達と京都へストリップを見に行った帰り道、1軒の和菓子屋に出会う。ショーケースにきれいに陳列された和菓子の数々を見て、「こういう和菓子を作りたい」と転職する。

24歳で大阪・岸和田の和菓子店へ修行に出る。

まず、餡子が自家製だったことに驚かされる。最初に修行した店もそうだが、大半の店は業務用の餡子を仕入れ、出来上がったものに自店の味にするために砂糖で調合するのが一般的だった。

素材も高級品である岡山産の白小豆と北海道産の大豆を使っていた。

職人が仕事場へ入るのは8時だった。親方はすでに仕事にかかり仕上げの工程に入っていた。一から親方の仕事ぶりを見たい、と思うようになり、7時に入ったが、すでに親方の姿はあった。さらに、6時半、6時と出社時間を早めた。

誰もいないところから親方の仕事を盗みたい。その一心だった。

熱意が伝わったのか親方がこう口を開いた。

「メモは書くな。全部頭で覚えろ」

それからは親方のケツをついて回った。それで材料や道具の仕入れ先が分かった。

「200万円貯まったら独立する」という目標を立てる。独立に先立ち、他店のやり方も気になった。親方の伝手で新宿・文明堂の工場も見学させてもらった。ほとんどの工程が機械化されていることに驚かされた。

自分の店を持ったのが26歳の時だった。

修行先で学んだ長崎カステラ1本で勝負した。200万円の資金ではカステラを焼く窯や道具を揃えるので精一杯だった。ちなみにカステラは洋菓子のように思われているが和菓子にカテゴライズされている。

つづく

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