パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

事務所での出来事

朝からニューギンのテレビC Mが流れているのを見て2000年C RスーパーコンビS P騒動を思い出しました。往年の名機スーパーコンビの復活です。C Rで一発機が打てる!売り上げが上がる!客が集まる!とホールサイドは騒然としました。

どこもかしこもこぞってこの台を導入しようと躍起になっていたのですが、いざ蓋を開けてみたら甘すぎて全く使えない台でした。後ほどこの駄作の弁償ということでサンキョーさんは何らかの保証制度を施行したのですがその詳細についてはよく覚えていません。

反対によく覚えているのは同年に第1回目が開催されたSANKYOレディースオープンをテレビで見た時の私自身の怒りでした。賞金総額1億円の大会です。ホールにあれだけ迷惑をかけておきながら自分たちはシレっとあんなものをこれ見よがしに行う、という行為そのものに嫌悪感を覚えました。

私はその腹いせに営業部長としての職権を濫用し、サンキョーさんの営業マンを事務所に5時間監禁したのはもう忘れることにしています(笑)

それはそれとして、今では法改正で存在自体がなくなった「権利モノ」が当時注目されていました。中でも平和のホー助くんDXの人気はなかなかのものでした。

ただしこの台の回転体狙いは厄介でした。初当り時の大幅な節玉を実現し、チャンスタイム中は連チャン率を大きく跳ね上げるという攻略法が横行していたのです。

私のお店では1列15台を設置していたのですが、稼働もよく、利益もしっかり取れていました。しかしいつ頃からか、マイナス差玉が目立ち始めたのです。

その原因を「ゴト師ではない攻略法を使っている学生のせいだ」とスタッフたちが教えてくれました。釘の下手な私はそれならば、とその学生たちとの勝負に出たのです。来る日も来る日も彼らとの戦いでした。私が勝手に挑んだ彼らとの戦いから2週間後、負けを認めざるを得ませんでした。私は彼ら4人を事務所に呼びました。彼らにコーヒーを勧め、話をしたのです。

「いや、はっきり言って勝てんわ。負けを認める。お前らの勝ちや。そこで相談なんだが、暫くうちの店遠慮してくれんか?見ての通り俺がシメまくったせいで一般客が飛んでしまってな。無理は重々承知の上での話だ」

「それって出禁てことすか?」

「勝負に負けた俺がお前らを出禁にするなんてデキン!ガハハハ」

彼らは私の親父ギャグを冷静にスルーすると
「僕らもそろそろやめ時じゃね、なんて話していたんです。結構稼がしてもらったし。イイっすよ。しばらく来ません。な、みんな」

他の学生たちも一様に頷き、事は収まりました。帰りしなに一人がこう言ったのです。

「部長、釘の勝負結構楽しかったっすよ」

私は「おう、ワリイな」と偉そうに構えては見たもののその実、情けなさで一杯でした。
後日彼らはたまに来てはハネモノを数時間打って帰って行ったのを何度か見かけました。



人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。