老オーナーは、総台数は180台あまりの小さい店を1店舗守り続けてきた。息子はいたが家業を継ぐことはなかった。
立地的には競合店も来ないような場所だった。
東北の中の東北ということが推察できるほどの田舎だ。
開店したのは昭和30年代で、有人島の時代から営業をしていた。いわば、パチンコの生き字引的なオーナーが、業界を振り返り、「そのうち全国チェーンもウチと同じ運命を辿ることになるよ」と警告する。
50年以上の歴史にピリオドを打った老オーナーの独白に耳を傾けてみよう。
「島の中に人が入っている時は、負けているお客さんには、入ってないのに玉を出したり、子供がお父さんを探しに来た時は、子供にも打たせてやったもんだよ」
牧歌的な時代からのパチンコ業界を知るオーナーも少なくなっている。
「ハネモノの時代は負けても2000~3000円、勝っても1万円だったが、フィーバーが出てからは儲かった。40玉交換でも負ける人は負けたが、フィーバーが出てからは負ける人が増えたが、それ以上にパチンコファンが増えた。液晶が増えることで、ハネモノが好きな常連さんはいなくなっていた。CRの確変が出た頃も常連さんがいなくなった。射幸性が上がるたびに常連さんがいなくなった。その繰り返しをパチンコ業界はずっと続けている。ウチは競合店もないので、お客さんがヨソヘ逃げることもない。だから、おカネが続かなくなってパチンコを辞めて行くことが手に取るように分かった」
交換率は40個交換を永らく続けたが、下がり続ける稼働を上げるために33個に変更したが効果は表れなかった。
人口が減り続ける過疎の町では新規客など増える要素もない。そんなことからひっそりと幕を閉じたが、久しぶりに店の前を通った昔の客が閉店していることに驚いた。
オーナーとどうしても話がしたくなった。
小さい田舎町なので、何人かに聞くうちにオーナーの自宅を突き止めた。
「昔、家族との思い出が店には詰まっていた」とオーナーを訪ねてきたのはおばあちゃんだった。
何年も前に引っ越していたので閉店を知らなかった。
「息子が小さい時に、お父さんを迎えにやらせに行ったもんですよ。カウンターに手動の玉貸し機があって、お父さんが負けている時は、余分に玉を出してくれて、人情味がある店だといっていたのを今でも思い出します」
昔話に花が咲き、閉店したことを2人で泣いた。
「色々な台が出てもそれを楽しんでいるのは極一部。お客さんの負ける金額が大きくなって、お客さんの収入を考えたら、どんな大手でも縮小ないし、潰れるしかない」
業界の縮図をこのホールに見ることができる。
このまま業界が何も行動を起こさなければ、何年か先には同じ運命を辿ることになる。
東京に次ぎ愛知県と脱等価を図ったように、等価交換営業からの脱却は待ったなしだ。
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