北陸にある店舗だ。
全盛期には7店舗あったが、今は1.5店舗となっている。1.5店舗という中途半端な店舗数は、資金を提供してもらって共同名義となっているためだ。
この2店舗もそろそろ限界に来ているので、手仕舞いしたいが、借金があるのでそう簡単に止めることはできない。業績は悪化しているものの、日銭が入ってくる。それでコツコツと借金を返済していた。
店を再生するのはオーナー自身、もう困難だと思っている。
「昔なら同胞が助けてくれた。店を買う時も生活費をプラスした値段で買ってくれたが、今はそんな状況でもない」
このオーナーの姿が総連本部ビルの売却問題とオーバーラップする。
ここで売却問題を少し、おさらいしておこう。
ハフィントンポストには次のように解説されている。
ことの発端はバブル以降、全国にあった朝鮮総連系の金融機関・朝銀信用組合の経営が悪化したことだ。
主に担保価値に見合わない融資を在日朝鮮人企業や個人に融資することで巨額の負債を抱えた。
1998年から最終的に16朝銀信組が経営破綻したが、当時の預金保険法に基づく預金全額保護のため、計1兆円を超える公的資金が預金保険機構から「贈与」として投入された。最終的に北朝鮮に流れたのではないか、との疑惑も指摘された。
破綻処理の過程で、整理回収機構(RCC)が16の朝銀信組から買い取った不良債権計約1810億円のうち、約628億円は個人・法人の名義で実質的に朝鮮総連へ融資されていたとして、RCCは2005年に朝鮮総連を提訴した。
2007年6月18日、東京地裁は全額の返済を朝鮮総連に命じ、資産差し押さえを可能とする仮執行を宣言した。総連は控訴せず、同26日にRCCは中央本部の土地と建物の強制競売を東京地裁に申し立てた。
ただ、「在日本朝鮮人総連合会」は任意団体で土地・建物の所有権を登記できず、登記上の所有者は別の合資会社名義だった。
実質的な所有権が朝鮮総連にあることを確認する裁判が続き、最高裁で総連敗訴の判決が確定したのは2012年6月。これを受けて翌7月に競売手続きが東京地裁で始まった。
1955年5月、浅草公会堂で総連の結成大会が開かれ、北朝鮮の支持母体となる。1972年の金日成生誕60周年の時は総連内部も祝賀ムード一色となり、絶対的支持に変わった。金日成の主体思想を具現化するための学習組が活動を始める。
総連内部でも商工人の地位は低かったが、祖国建設のための資金提供が認められ、商工人の代表が訪朝した際、金日成から「愛国的商工人」と称えられたことから、総連内部でも序列が変わった。定期的に商工人が訪朝し、国家勲章をもらうようになる。
総連の求心力が低下するきっかけは、金正日が日本人拉致を認めたからだ。
「自分たちも親族を北朝鮮に人質として取られているようなものなので、日本人以上に拉致問題では心を痛めている。在日同胞も拉致問題では立ち上がりたいが、首が飛ぶのでできない」
さらに総連離れが決定的となったのは、朝銀信組の破たん処理の過程で、朝鮮学校の多くが総連の担保に入っていたことだった。学校建設に多額の寄付を商工人は行ってきたが、神聖な学校を担保に入れていたことに一気に心が離れた。
朝銀信組の破たん処理は、パチンコ業界にも大きく影を落とす。資金を断たれるとホールの運営自体が苦しくなっているところに加え、総連の求心力が低下しているため、総連本部を守ることができなかった、ということのようだ。
組織弱体化がすべてを物語っている。
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求心力を失い弱体化する組織
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