メーカーの悩みの種はこのコンテンツ不足にある。
そのためもあってかヒット機種は必ずといっていいほど、柳の下の泥鰌を狙ってシリーズ化される。
柳の下の泥鰌とは、「一度柳の木の下でどじょうを捕まえたからといって、いつも柳の木の下にどじょうがいるとは限らないことから、たまたま幸運なことがあったからといって、いつも同じようにそれを得られるわけではないということ」という意。
この諺どおり、シリーズ化されたものの大半は失敗しているが、ホールも最初のヒット機種の味が忘れられなくて、ついつい買ってしまう傾向がある。
メーカーも海物語、ジャグラー、北斗の拳シリーズがどうして息が長いヒット機種になったのか、ということは当然分析している。
しかし、メーカーとしては3年以上も使い続けられると、売り上げが立たなくなるので、息の長い機械は作りたくない、というのが本音だ。ここが経営者と開発側のギャップであろう。
メーカーとしては常に代替需要を作っていかなければならないので、わざと失敗しているのか、と勘繰りたくなるほどだ。
メーカーの悩みの種であるコンテンツ不足の話に戻そう。
メーカー関係者の中には、今後の機械作りを模索している人もいる。
「カジノ絡みで確変が禁止される可能性も出てきました。急に確率がよくなるような確変がこの先も続くとは思っていません。いつ規制されてもおかしくない」
確変が禁止されてパチンコの魅力が薄れるのではないか、と心配する背景にはやはり液晶パチンコしか作ってこなかったことに起因していることが分かる。
液晶を魅せるためには、何よりもコンテンツが重要になってくる。そのすがるコンテンツが枯渇している、と嘆く。
そもそも論だが液晶パチンコを主体にしてきたこと自体が、パチンコメーカーがパチンコ機開発を放棄してきたことだ。
パチンコは役モノと玉の動きでハラハラドキドキ感を演出してきた。メーカーは本来役モノ開発するのが本道であったはずだ。
邪道だった液晶パチンコが本流になってしまったから、確変禁止にも怯えたりする。
「今のメーカーにはチューリップ台でお客さんを夢中にさせる機械を作りなさい、といいたい。メーカーが出直すのはそこからです。1発台の単純な機械でも当時のお客さんは熱中した。役モノでお客さんを付ける姿勢がないメーカーでなければ生き残れない」(業界アナリスト)
ユーザーのための機械というよりもホールが買ってくれそうな機械、ひいては自分たちの会社が存続するために機械を開発しているメーカーがこの業界には多すぎる。

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