終戦後からパチンコを始めた筋金入りのパチンカーだ。
60年間続けてきたパチンコをこのほど止めることを決意した。理由はおカネが続かなくなったことだ。
ここまでなら、どこにでもあるような話だが、このおじいちゃんは、ここ20年間は固定したマイホールで打っていたのだが、そのマイホールで卒パチ宣言を行った。
このおじいちゃんは60年間に及ぶ勝敗表をつけていた。
それはノート40冊分にも及び、卒パチ宣言をする時に、マイホールに持参し、店長にノートを見せた。
打った日付と勝ち負けの金額が記されているのだが、おじいちゃんは一目で分かるように勝った時は、青鉛筆で、負けた時は赤鉛筆でその金額を色分けしていた。
その膨大な資料を見せつけられた店長は、ただただ感心するばかりだった。
1玉が3円時代は、赤字と青字のバランスが絶妙だったが、ここ最近は断然赤字が目立つようになっていた。
「よく、見てみい。等価交換になってから、確実に負ける率が高くなっているやろ。このままパチンコ業界が等価営業を続けるのなら、ワシのような客が確実に増える、ということや。実際客は減ってるやろ」とおじいちゃんは店長に諭した。
おじいちゃんはここ最近は1パチを細々と打っていたが、1パチにも持ち堪えられなくなった。
「1パチは4円の4倍遊べるというふれこみやったが、1円でも等価になるとまったく遊べん。1パチで1万円もつぎ込んだら、もう取り戻せん」と1パチがまったく遊べないことを嘆く。
1日で使う金額は1万円もつぎ込めなくなり、それが7000円になり、5000円になり、最後は3000円になり、卒パチに至った。
「等価は戻る金額も大きいが、その分投資金額も多い。金が続かなくなって、しかたなく1パチをやっていたが、業界は1パチ客は遊べたらええと思っているかも知れんが、1パチでも客は勝ちたいんや。勝てなきゃつまらん遊びや」と吐き捨てる。
おじいちゃんが一番面白かったパチンコは、平和のゼロタイガーと三洋のグラマンだった、という。「勝ったり、負けたりでいい時代だった」と懐かしむ。
今のハネモノはランド方式になってちっとも面白くないとも。
釘担当者は等価の弊害をこう表現する。
「40個交換の時は、いかに出玉を多くするかに腐心したが、等価になっていかに出玉を削るかに腐心している。パチンコの醍醐味はやはりたくさん玉を出すこと。低価交換の流れを作らなければ、業界の将来はない」と断言する。
40冊のノートは、業界の生き字引の証でもある。
60年来のパチンコファンがホールから去ることを業界は重く受け止めなければならない。

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