パチンコ日報

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郷ひろみファンだったからパチンコ業界に入った

「さ5163」

「さ1635」

「さ5050」



この暗号的な番号が何を意味するか? 分かる人ならすぐに分かるが、興味のない人には何のことやらさっぱり分からない。



これをクイズに引き延ばすのもあまり意味がないので、タネ明かしをしよう。



最初の「さ」は深い意味がある。



これ以外のひらがなは、まったく意味をなさない。



後の数字はごろ合わせである。



ここまで書けば分かる人は分かってきた、と思う。



これは、車のナンバーだ。



では、答えを。



さ~、ゴーヒロミ

さ~、ヒロミゴー

さ~、ゴーゴー



郷ひろみの熱狂的ファンは、自分の車のナンバーにも5163を入れたがる人がかなりの数がいることが分かる。



過日、郷ひろみのコンサートが行われた会場の駐車場には5163、1635、5050の車だけで10数台を数えた。



ひらがなはいずれも「さ」。



「への5163では意味がない。あまりにも弱弱しい。5163にはさが一番似合う」(熱狂的ファン)というように「さ」ではないと価値が半減するらしい。



1971年8月1日、郷ひろみが鮮烈なデビューを果たした。新人の郷ひろみが九州・福岡の市民プールでイベントを開いた。当時中学1年生だったSさんは、デビュー曲の「男の子女の子」を歌う郷ひろみを見て、背筋が凍った。



「世の中にこんな美しい男がいるのか!!!」



それ以来、「郷ひろみ命」の人生が現在まで続いている。



で、自分が乗っている車は「さ5163」、奥さんの車は「さ1635」のナンバーを付けるほどの熱の入れようだ。



ある時、白いクラウンにぶつかりそうになったことがある。するとナンバーは「さ5163」。ドライバーはおばちゃん。止めて話を聞きたらやはり郷ひろみのファンであることがお互いに分かった。そんなことは一度や二度ではなかった。



中学時代から郷ひろみのファンになったSさんは、それがきっかけで、やがてパチンコ業界に入ることになる。



前置きが長くなったが、郷ひろみ物語の始まり、はじまり。



東京の大学を卒業したSさんは大手旅行代理店に就職する。その頃、郷ひろみは活動の拠点をニューヨークに移した時期があった。



ニューヨーク時代、カーネギーホールの隣のダンススタジオで郷ひろみはレッスンをしていた。そのダンススタジオが取り壊された。その跡地に78階建てのタワーマンションが建設された。



Sさんは郷ひろみに少しでも近づきたいと思うようになり、旅行代理店の社員でありながら、そのタワーマンションの49階の一室を5000万円で購入してしまった。



今から26年前のことだった。



5000万円のローンは、旅行代理店のサラリーマンの給料で返済するには荷が重かった。学生時代落語研究会に所属していた関係で、当時、駆け出しの落語家と一緒に住んでいたことがあった。



売れない落語家の下には結婚式の司会のアルバイトが入って来ていた。若手落語家がこなしきれない時に入ってきたのが、結婚式の司会の話だった。ローンの返済もきつかったので、このアルバイトの話は渡りに船だった。



1回3万円からスタートして、最高で5万円になった。



忙しい時期になると月に10本も司会のアルバイトの仕事が入った。月50万円稼ぐこともあった。



これで、返済も楽になった矢先だった。ある結婚式の主賓に勤め先の上司が呼ばれていて、アルバイトしていることがバレてしまった。



それを機に結婚式のアルバイトができなくなるのだが、捨てる神あらば拾う神あり。



当時、パチンコ業界ではラスベガス視察が始まりだして、ここに特化した営業企画でパチンコ業界に入り込むことになる。



今から20年以上前、組合団体、メーカーなどのラスベガス詣でが始まる。筆者もこの時期取材でラスベガスに行かせてもらったことがある。



往復の飛行機はビジネスクラスで、ワインが飲み放題。贅沢をさせてもらった。



Sさんはラスベガス旅行で一人のホール経営者と知り合う。



Sさんの企画力や行動力に惚れこむ。



やがて、立ち上げる新店に専務待遇で迎え入れたい、という話が舞い込む。給料は現職の4倍以上の厚遇だった。



ニューヨークのマンションの支払いに行き詰りかけていたので、渡りに船だった。



ただし、いきなり専務待遇で迎え入れるのは他の社員の手前もあるので、とりあえず半年間、自分で最低、最悪のホールを探しだして、現場経験をすることが条件だった。



新宿のホールで半年間住込み生活を送り、晴れて新店の会社に専務で迎え入れられた。



斬新なアイデアを持っていたので、専務として取り組んだ新店は業界常識を破ったホールとして話題にもなり、上々の滑り出しを見せた。



ニューヨークのマンションの支払いも楽になった。



一時期は歌手で女優のNMさんにも貸していたことがある。最近ではNHKの朝の連ドラで主人公の晩年役で出演していた。



いいことはそんなに長くは続かなかった。



そのホールを追われるように退職すると、私生活でも離婚問題などで、全財産を失う。その時にニューヨークのマンションも手放すことになる。



郷ひろみに恋焦がれて買ったニューヨークのマンションのローン返済のために入ったのがパチンコ業界だったが、すべてを失い、裸一貫から再スタートを切ったのもパチンコ業界だった。



前職の肩書はゼロで、ホール現場の玉運びから始めた。すぐに頭角を現し、現在の部長という役職を手に入れた。



50歳を遠に過ぎた今も、郷ひろみファンであることは変わらない。



「郷ひろみのファンでなければ、パチンコ業界にも入っていなかった」と述懐した後、こう続ける。



「郷ひろみはファンを裏切らない。肉体を鍛えているので、まったく年を感じさせない。コンサートに行くと一気に10代の頃が蘇り、当時の自分に戻れる。私が60になってもそんな気分にさせてくれる唯一のエンターティナーが郷ひろみ。安心感でいうところの海物語に通じるところがある。パチンコホールも最終的にはファンを裏切らないホールが生き残る」



郷ひろみの機械を販売しているニューギンやCMキャラクターに起用して入るホール企業に転職することはないが、接触機会のある会社がちょっとだけ羨ましい。





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