起業からの1/3の期間は右肩上がりの成長期であり、この期間は若い企業として成長の勢いがあり、一定水準まで企業力を蓄える重要な時期である。
中盤期の1/3は実力が一定水準まで達した状況下で経営状況が水平型の経営安定期の状態である。
最終期の1/3は成熟期という状況であり、良い意味では円熟期の良さがあるが成長の勢いは感じられない状況だ。
それでも30年も存続している企業数は1万社中わずか2~5社である。
パチンコ業界が現在のような巨大産業に成長した原因は、いうまでもなく、SANKYOのフィーバーの誕生であることは間違いない。
それまで台当たり3000円だった売り上げが一挙に10倍の3万円になったのだからその貢献度は計り知れない。
そのフィーバーが誕生して30年が過ぎた。
企業寿命30年説ではないが、業界に30年周期が感じられる。
マルハンの新入社員数がこれまで3桁で推移していたのに、今年度は2桁に落ちたことが象徴的だ。出店スピードも鈍ってきている。
業界3位のガイアは今年入社した新卒者の人数が発表されていない。昨年は震災後の対応や社長が覚せい剤で逮捕されるなど批判が集中した。
フィーバー誕生から30年が過ぎた業界は、円熟期を通り越して衰退期に入っている。
企業は30年周期を過ぎても後継者にバトンタッチできれば、50年でも100年でも生き残ることができる。
では、業界が生き残るにはファンのバトンタッチになるわけだが、それが途切れているために市場規模が年々縮小している。
業界を挙げて新規顧客の創造をしなければならないのだが、現状のままでそんな取り組みでも行おうものなら、反パチ勢力から「ギャンブル依存症患者を増やす気か!」と集中砲火を浴びる。
インベーダーブームによってパチンコ店には閑古鳥が鳴いたが、フィーバーの誕生で瀕死の状態から息を吹き返した。
ダイエーの中内功氏は、大阪・千林で主婦の店ダイエーを創業した当時、野菜を仕入原価で3年間販売しながら利益を出していた。
従業員を多数抱えながら仕入原価で販売して3年間も利益を出したなんて凡人の頭では想像も付かない。
野菜は段ボール箱に詰められて店に届けられる。野菜を仕入れ値で売るわけだから、野菜は飛ぶように売れた。
売れるたびに店には大量の段ボール箱で埋まった。
当時、紙不足でダンボールが高値で売れた。
古紙回収業者が1時間おきに来なければならないほどのダンボールの量だった、というのだから半端な数量ではなかった。
ゴミが利益に変わることに注目した中内氏の着眼点が、今のパチンコ業界には必要だ。
高くなりすぎている遊技代をいかに低く抑えて、適度に射幸心も満たすか。これが業界30年周期を乗り切るテーマでもある。

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