パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

1パチの副作用がホール経営を蝕む。その打開策とは

4円等価で脱落するパチンコ客の受け皿として1パチがスタートしたのは2006年のことだった。「もっと気軽に遊びたい」という顧客の声に対応するための1パチだった。当初は懐疑的で競合店は様子見だったが、1年後には全国へ波及していった。

あれから15年が経った。1パチを始めとする5スロの低貸し営業は今やホール経営の主流になってしまった。貸し玉料金を4円から1円に下げたのだから当然、売り上げ、粗利とも下がる。

気軽に遊びたいという要望を満たすはずの1パチが主流になれば、1パチで利益を取るようになったため、さらに遊技客は減り、機械代だけは高騰していった。

改めて思うことは、パチンコ業界の衰退は1パチを始めたことにも一因がある。

貸し玉料金を下げる=値下げ戦略で同じように手痛い目に遭ったのが日本マクドナルドだった。

1996年から1999年の間は210円のハンバーガーを130円に値下げ、何度か限定で値下げ(80円、99円)していたが、2000年にはいると平日半額の「65円バーガー」で急激な値下げで売上高を伸ばした。2001年にジャスダックに上場した時は、「デフレ時代の勝者」と持て囃された。

ところが、あまりにも値段を下げ過ぎてブランド価値を下げただけでなく、2002年、創業以来の赤字に転落。値引き競争の効果に限界を感じ始めた藤田会長は、2002年2月14日「デフレ時代は終わった」と平日半額キャンペーンを終了する。

平日半額を止めるということは、値上げを意味し、一度安いハンバーガーに慣れた客は、値上げによって離反した。その巻き返しに2002年8月5日、「59円バーガー」を販売する。マクドナルドの店舗には、激安価格を求めて客が列をなした。販売から1週間は前週比25%アップの伸びで、激安戦略は当たった、と藤田田会長は悦に入っていた。

しかし、一度安いハンバーガーに慣れた客は、59円バーガーの効果も限定的で、売上高は2割も落ち込んだ。翌2003年も赤字は解消できず、藤田会長は退任することになる。

その立て直しに白羽の矢が立ったのが元アップルコンピュータの原田泳幸氏だった。値引き戦略については「やってはいけないビジネスモデル」と断じると共に、「商品価値を変えずに値段を下げれば、消費者はそれが妥当な価格と思う。値下げで一時のシェア争いはできても、隣の店から客を奪うにすぎない」と否定した。

原田社長はクォーターパウンダーなどの高単価の期間限定商品、その他の新商品・新サービスの導入や、不採算店の大規模な閉鎖により、2010年代初頭に業績を回復させた。

その後、再び業績は落ち込んだり紆余曲折するが、カサノバ社長が立て直しを図り、コロナ禍ではドライブスルーの持ち帰り客が増えた他、マックデリバリー、ウーバーイーツ、出前館の宅配需要を強化したことで、過去最高益をたたき出している。

安売り路線で失敗して客単価を少しずつ上げながら立ち直るまで、マクドナルドだって何年もかかっている。

話をパチンコに戻そう。

パチンコ業界の等価交換戦略は、客単価を上げることには成功したが、その分、副作用はお客さんの方に現れる。勝つ時も負ける時も金額が大きくなり過ぎた。+αの価値を付けて等価=値上げに走るのならお客さんも付いてこられたかもしれないが、それなしにやり、遊技客の離反を招いた。

そこで始まったのが1パチだった。

1パチの副作用はホール側にきた。確実に財務体力を蝕んでいる。1パチを始めた時はここまで副作用が大きくなることはどこも考えていなかった。

4円で利益が取れる営業を始めるには、原点に帰ることだ。交換率を下げるしかないが、その一歩が踏み出せない。

無駄を見直して出玉に還元する。高価交換に慣れたお客さんを低価交換に慣れさせるには、回ることに驚いてもらい、カネを使わずに遊べることを実感してもらい、交換率は悪いことに納得してもらうだけの出玉で勝負するしかない。




人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える
※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。