パチンコ店で働いていた人が、さらに高い時給を求めて向かった先が福島第一原発だった。原発構内の作業補助でも時給1万円というケースもある。日給なら3時間作業で3万円になる。
どれだけ危険な作業かが、時給に表れている。
それでも、一攫千金、短期間で大きく稼ぐために福島第一原発を目指す者はいる。
パチンコホール経験者のAさん(33)は、半年間の福島原発作業員の仕事から再び、都内に戻ってきた。
再就職先に選んだのがパチンコホールだった。
面接で包み隠さず、福島原発の体験も話した。
福島原発の作業員は基本的に寮と食事は完備されている。一仕事終えて夕食の時が唯一の楽しみだった。その時に顔見知りになった人たちと身の上話をするわけだが、その寮にはホール経験者がAさんを含めて7人もいた。
自然と同じ業界にいたということで意気投合するようになった。
ホール経験は半年から4年まで。正社員は1名で後は、契約社員だった。
全員に共通していたホールで働くようになった理由は、職場環境より時給の高さだった。
どこで働いていたか、という話になった。
一人は地元の「D」。
「倒産後も社内の雰囲気は変わらなかった。むしろその後の方が客が増えた」
全国チェーン出身者からは愚痴しかでなかった。
「人間として最低の人が多かった。威張ってばかりで表に出て来ない店長が多かった。中で何をしているかまったく分からない」
Aさんはホールを辞めた後で居酒屋チェーンでも働いたが、色々な職場を経験してパチンコ業界へ骨を埋める覚悟ができた。
「人を大切にしてくれるのはやはりパチンコ業界だった。腰を据えて働けると思えるようになった。福島原発を経験した人は次の職場の面接では『日本に貢献するために福島へ行ってきました』という人が多いが、皆金目当てです。そんな綺麗ごとはいわずに本音で話しました」
そして、めでたく採用されて今は元気にホールで働いている。
逆に色々な業種を経験することでホールの良さを改めて知る人も少なくない。弱者を助ける土壌がまだホール業界には残っている。
この手のことを書くと「客に優しくない」と批判コメントが嵐のようにくる。

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