パチンコ日報

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是非ドラマ化したいパチンコ店を舞台にしたシナリオがあった!

視聴者を毎回イラつかせ、史上最悪と酷評されたNHKの朝ドラ「ちむどんどん」。シナリオ作家は「ちむどんどんを採点するなら5点。うちの学校なら赤点レベル」と一刀両断だ。

シナリオによって主演の黒島結奈まで悪評がつくようなケースだったが、このシナリオ作家はシナリオ学校の講師も務めており、「ちむどんどん」と比べて内容が数段良かった生徒のシナリオを思い出した。

話しは今から7~8年前に遡る。生徒は40代の女性で、小説も書いていたが、落選続きだった。内容は自分の10歳上の兄を軸に綴った自叙伝でもあった。講師は連絡が取れなくなった生徒と連絡を取ってドラマ化したいとの強い思いがある。

では、どんな作品だったのか話を進めよう。

舞台はホールだった。

生まれた時からホールの2階で暮らしていた。両親はホールの従業員。店長ではなく主任クラスだった。家族4人が夫婦用の部屋で生活していた。

物語は小学校へ上がった頃から始まる。幼いころから聞き慣れた音楽は階下のホールから鳴り響く軍艦マーチと、有線で流れる演歌だった。物心ついた時の遊び場はホールで、床に落ちたこぼれ球を拾って、お菓子と交換していた。そんなパラダイスのような環境だから、2階の部屋は子供たちのたまり場となっていた。

家族は在日だった。

オーナーには子供がいなかったこともあり、可愛がられた。特に頭が良かった10歳上の兄は、オーナーから寵愛を受けていた。

高校生になると医学部へ進学できるほど、成績は学年でもトップクラスだった。本人も医学部へ進学すべく勉学に励んだ。

しかし、両親の給料では国立以外には進学させることができない。国立を目指したが第一志望は不合格だったが、私立には合格した。学費をねん出することはできないので、諦めかけていたが、オーナーが全額出すことで、私立の医学部へ進学することができた。女性の方は短大へ進学させてもらった。

医大を卒業して研修医になった時も、ホールの寮に住んでいてそこから病院へ通っていた。晴れて脳外科医になり、30歳になっておカネにも余裕が出てきたので、オーナーに少しずつ返済することを申し出たが「いらない」と断られる。その代わり「私が病気になった時は面倒を見てくれ」と言い残された。

オーナーはそれから認知症を患うことになる。

「今はまだ症状も軽いので、好きなことをさせた方がいい。好きな旅行にも行かせた方がいい」とオーナーの家族にアドバイスする。経営から一線を引く。

4~5年後には自分で自分のことができなくなり、施設に入る。その後オーナーは心不全で亡くなる。

両親は定年後もホールで働いていた。

数年後、ホールは街の再開発で立ち退きになり、取り壊すことになる。思い出がいっぱい詰まったホールが取り壊されていく現場を見たオーナーの奥さんが「このまま生きていてもしかたない」と自殺してしまう。

遺書には「遺産は皆で分けたらいい」と書かれていた。

以上が大まかな内容だ。

ドラマの制作会社の関係者がこのシナリオの話に興味を持ち、連絡が取れる方法を模索している。撮影はほぼホールを使うだけなので制作費もそれほどかからないらしい。これを読んで思い当たる人が見つかれば幸いだ。

追記

この原稿自体は10月14日に書いて、予約投稿していた。

10月28日に見つかったそうだ。

これで本格的にドラマが始動することを期待したい。



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