カルティエ
食堂では既に酒盛りが始まっていた。
「おーい、坂井。おそいぞお、おまえかけつけ三杯だからなあ」
真っ赤な顔をしたカルティのダミ声。飲みたくもないビールを本当にコップ三杯一気に飲まされた。テンションが低い時の酒はあまりその結果が芳しくないことを僕はよく知っている。心乱れないように気を遣いながら飲む酒ほど不味いものはない。
そして面白くない。もともと酒を好んで飲む方ではないからやはりこの場は苦痛の極みなのである。
「なんだ、坂井元気ないな。初めての経験で疲れたか?」
カルティエの言葉には引っかかるものがあった。僕の心を見透かしてわざと言っているのである。
「いえ、べつに」
うつむきながらふてくされて言った。するとカウンターで働く松本さんが怪しい呂律で僕を擁護する。
「店長さあ、新装開店初体験の坂井さんにさ、入場制限ひとりに任せるのってさあ、ちょっとひどいんじゃない。あたし全部見てたけれどさあ、あれじゃあやる気なくすわよ。ね、坂井さん」
それもショックだった。松本さんはその一部始終を見ていただけでそれで助けもしてくれなかった。同情されても少しも嬉しくない。
「たしゅかにちょっと可哀想だったっしゅね。ひゃかいしゃんにはヒョット荷が重かったかもでヒュよ、店長」
ひょろっとして幸薄そうな関口さんも合いの手を入れる。土気色した顔の関口さんはギョロっとした目が極端に離れている。その顔は痩せたコオロギのようにも見える。前歯が四本もないからしゃべると空気は漏れるわ唾は飛ぶわで迷惑極まりない。当然のことながら正しい発音ができないから自分では坂井さんと言っているつもりでも、どうしても「ひゃかいしゃん」になってしまうのである。
「おまえらなあ、お前ら甘いんだよ!ぱちんこの仕事はこんなもんじゃないことくらいわかってんだろうが。これからやらなきゃなんねえ仕事は山ほどあるんだ。それができないんだったらこんな業界辞めりゃあいいだろが」
吐いて捨てるようにカルティエが言った。
「でもさあ店長、モノには順序っていうものがさあ、あるじゃん」
「あのなあ松本。お前だって最初から仕事覚えるのに誰かから教わったか?だいたい教えてくれるような頭を持った社員がこの店にいるか?ただ言われたことを自分でやって、それで間違えていたら注意されて、それからまたやり直して、の繰り返しだったろうがよ。初心者だからって俺がお前のこと甘やかしたか?三年前を思い出してみろ」
カルティエが松本さんの顔をジッと見据える。
「お前が入社してから一ヶ月は特殊景品の文鎮の数が合わないってこの俺に怒鳴られてばっかりで、お前はそれが悔しくて泣きながら何回も数え直して、また数え直しての毎日が続いたろ?今はもう忘れちまったか?え?でもお前はそこから頑張った。頑張った結果が今のお前の姿だろうが。今じゃもう誰もお前のこと心配なんかしねえし、それどころかみんなお前の仕事に一目置いてるじゃねえか」
松本さんが急に黙り込む。
「坂井、おまえだ。誰もがこんな仕事不安だし、嫌だし、辛いよな。でも俺たちぱちんこ屋の店員はもともとおつむが弱いのばっかりだから体で覚えるしかないんだよ。なあ、木村。お前もそうだろ?うちの店に来てすぐに辞めたい、辞めたいって言ってただろうが。でもお前はほかに行くところもねえし、雇ってくれるところもない。今は仕方なくここにいるんだろうがよ。でもな、そんなお前も俺にとっちゃあ必要な存在なんだぞ。お前は馬鹿だけど俺に怒鳴られても、ど突かれてもずっと俺の後をついて仕事を覚えてきたよな。人間そうやって成長していくもんだ。俺は馬鹿なお前が誇らしいぞ、木村」
いつしかカルティエの声は穏やかになっていた。そして木村くんの目にはうっすらと涙が浮かぶ。松本さんは泣いている。そして関口さんはどこを見ているのかわからない。
「大学卒業してネクタイして会社勤めするのがエリートなら俺たちゃそのエリートになれない世の中のハミ出しもんだ。まあ、別にエリートになりたいとは思わねえがよ。でも俺は奴らより下の人間だとは思わない。所詮ぱちんこ屋の店員だろうって馬鹿にされても俺は悔しくなんかない。俺はぱちんこが好きなんだ。なんか辛気臭いのが嫌だから賑やかな場所で仕事して、客と出るの出ねえのってやり取りが好きでそれを楽しんでいるのさ。ガラの悪い客もいるけどよ、あいつらもああ見えて結構人は悪くねえよ。俺たちみたいなハミ出しもんでもまともに相手してくれるからな」
僕はカルティエのまだ見ぬ部分を垣間見た。そして何故かいとも簡単にまだこの店にいてもいいかな、とそんな気持ちにさせられた。
こうして見るとかなり強烈な個性だけど、ここにいるみんなはそ、れほど人は悪くない。自分の育ちの良さを鼻にかけるつもりはないが、僕より何倍も苦労してきた人たちばかりのようだ。僕はまだ何もしていない。世の中のことを何も知らない。僕は自分の甘さを痛感した。
「さあ、そろそろ三時も過ぎたし寝ようや。明日も忙しいからな。坂井、あすもお前に入場制限頼むからな」
「はい、わかりました」
と言ってしまった僕は自分に驚いた。と同時にこれで良いのかもしれないとも思った。カルティエも結構思いやりがありそうだし、何よりも皆が優しい。今はさっきよりはっきりとこの店にいてみようと思った。
「おい、坂井。明日子ガメにズボン脱がされないように気をつけろよ。ガッハハハァ~」
やっぱりこいつだけは好きになれない。「いつか復讐してやる。いつか辞めてやる」僕の心にはメラメラと呪いの青白い炎が灯った。
第2話 失意 ⑦
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