パチンコ日報

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ディズニー教育は今

世界で一番リピート率が高い施設は?



いうまでもなく東京ディズニーランドである。その驚異のリピート率は98%に達する。逆な見方をすれば、1度行くと2度と行きたくない、という人がほとんどいないということだ。



ちなみにリピーターは10回以上が60%で、30回以上は20%にも及ぶ。リピート率が高いということは顧客満足の現われか。



この顧客満足度を陰で支えていることの一つに、ディズニーランドの清掃が挙げられる。



そのレベルは「ポップコーンが落ちても、すぐに食べられる」。



普通、地べたに落ちたものは食べないが、それぐらいクリーンネスを保っているということ。



閉園後、毎日のすべてのエリアをホースの水圧を使って、砂を流す作業が行われている。人目につかないところで日々努力を続けている、ということ。



ディズニーランドが成功した理由はミッション(企業理念)が明確で、アルバイトの行動レベルまで落とし込まれているからだ。



では、ナゼ末端まで理念が浸透しているかだ。



そこにはミッションが浸透するシステムがあり、



従業員が自社の商品に誇りを持ち、



顧客のニーズを理解しているからだ。



ディズニーランドの客はアトラクションに感動するのではなく、人間性に感動するともいわれている。



これをパチンコ店に置き換えようとディズニーランド教育を取り入れようと努力したホールもあった。



しかし、根本的に違うのが客のニーズだった。



同じサービス業でも客の中にはゴト師やウチコ軍団などホールに歓迎されない者も含まれている。



ディズニーのキャストなら笑顔でウチコ軍団を追い返す?



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高稼働の秘訣

全くの異業種からパチンコ業界に参入して、5万5000個稼働をたたき出したホールがあった。



神戸市の郊外。総台数は400台。駐車スペースも400台。10年前の話だがパーソナルを導入していた。経営者が素人ならスタッフも素人。どうして成功したのか?



成功要因

その1,1年以上かけた綿密な市場調査

・商圏2キロで人口10万人

・競合店との直接的な影響がない

・100%車客



その2,営業面

・当時としては多かったスロット160台の設置比率が利益を生み、パチンコを有利に展開

・CR機比率を高くしてリミッターなしの2回ループタイプを半数以上設置

・よく回るようにスタート回転数にこだわった営業

・モーニングサービスはしない

・再プレイ手数料は換金手数料と同じ



その3,会員管理システムの効果的活用

・1台当たり20名以上の会員を募集する(会員が多いとイベントをやっても反響が大きい)

・スタッフが近隣をローラー作戦によって回りオープン案内と会員募集を同時平行で行う

・スタッフ自らが回ることでスタッフのトレーニングにもなる

その結果の会員数

男1万1000人

女3600人

合計1万4600人



その4,プレオープン

機械設備の調子を見ることやスタッフの実地訓練を兼ねてプレオープンを実施。

・客はアルバイト=金がもらえてパチンコが打てる

・アルバイトができるのは会員に限定=入会の動機づけになる

・アルバイト会員は近隣に住んでいるか、勤めている人に限定=安定した稼働は近隣ファンから



その5,プレオープン客を本当の客へ

・グランドオープンは会員を優先入場

・非会員に損をさせないために、入場で並んでいる時に会員募集を敢行



その6,オープン中の会員募集

・オープン期間中は満台で打つ台がない。この時に声を掛ければ高い確率で会員になった。



その7,会員のデータ分析

・顧客の消費金額、勝敗金額が把握できることにより、常連客が最近足が遠のいている客が分かる。そうした会員をピックアップして勝敗金額のボーダーラインを探しだし、ノーパンク優先入場券で呼び戻す。

・顧客中心のデータ分析により、顧客第一主義の営業戦略を立てる



そんな努力を続けることで5万5000稼働をたたき出していた。その後もう1店舗出店して成功を収めていたが全部売却してパチンコ業界から去ってしまった。



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幻に終わったパチンコFC

ダイナムが「信頼の森」という屋号でボランタリーチェーンを始めているが、今から11年前、報道関係120社を集めてパチンコのフランチャイズ展開の記者会見を開いたホールが長崎にあった。



FCホール名は「パーラーデルダス」。FC加盟金は1200万円。ロイヤリティーは台当たり2000円+売上総利益の1%。



土地には投資しないことが前提条件で、土地は賃貸。最大の特徴は業界外からでも参入できるようにと、店長やスタッフの出向、派遣することだった。



建築費は坪100万円時代に60~70万円。設備費は台あたり同じく100万円といわれていた時代に、60万円を目標にしていた。



ローコストながら「完全パーソナルシステムは、いずれ標準設備となる」と現在の隆盛を予見していた。その理由はこうだ。400台規模で年間の人件費は1億円だった。この固定費を変動費にする方法を考えた結果、正社員ではなく、アルバイトの採用になるわけだが、アルバイトは働く期間が短いために、採用するたびに恒常的に教育する必要があった。



それをシステム化してコストダウンを図るためにパーソナルが必要になってきた。



当時、パーソナルを導入していた473台のホールでは人件費を7600万円まで下げることに成功していた。



「自動化できるところは自動化する」が同社のモットーだった。



フランチャイズにはトラブルがつきものだった。相手は億単位の投資になるわけで、失敗は許されないが、赤字が出た場合の保証はしないことにしていた。



その辺は「お互いに情報をオープンにして話し合う」。



フランチャイジーのために次の管理5項目をマニュアル化していた。

1,計数管理(数字にまつわるもの)

2,顧客管理(傾向値に基づいてどういうアプローチをとるか)

3,遊技台管理(パチンコ、パチスロの品質管理)

4,環境管理(清潔さを保つ)

5,労務管理(組織の役割分担)



3万稼働を4万稼働へ引き上げるのは容易いことではない。まずは、現実可能な目標設定から始め、それを文章化して共有する。「人を育て、数字を作らないと結果は出てこない。フランチャイザーとして、本部から人を出向させ1~2年で軌道に乗せる」



こういう計画だったがパチンコFCが日の目を見ることはなかった。



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高砂の株価を9000円台まで押し上げたクリエイション

完全に陣取り合戦が終わり成熟していたプリペイドカード市場。東日本、中部、西日本の3ブロックに大手商社を母体とするカード会社3社がきれいに棲み分けしていたために、第4のカード会社が隙入る余地など残されていなかった。



ここへ6年の歳月をかけて果敢に攻め込んだのがクリエイションカードだった。



警察の肝いりで設立した先行カード会社は、その後大量の偽造カード問題やカード会社への警察の天下り問題、さらには独禁法などの絡みで門戸を明けざるを得ない状況に追い込まれていたことは事実。



濱野凖一社長の強いリーダーシップのもとにプリペイドカード開発が進められてきた。



ところが、スロットは作れてもカードに関しては業界歴は0。知識も乏しかった。これを技術面で助けたのが松下電工㈱電子材料分社だった。



成熟している市場へ切り込むためにはよほどのメリットがなければ、普及しない。そこでクリエイションは先行カードが散々破られたセキュリティには、特に万全を期した。



加えて、ランニングコストを抑えるためにカードは300回繰り返し使えるようにし、1枚当たりの値段を0.093円まで下げることに成功した。



さらに普及に拍車をかけたのが座ったままカードが買えたために、売上げ、稼働が伸びたこと。大阪を中心にまたたくまに全国へ普及していった。



その結果、親孝行なクリエイションカードは、親会社の高砂電器の株価を9000円台まで押し上げたこともあった。



紆余曲折を経て、孝行息子は結局売りに出され、ピンチが続く親の台所事情を助けることになる。



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不況といわれながら金の玉が売れた時代

バブル経済崩壊後も景気が悪い、悪いといわれ続けていたが今の不況に比べたら不況でもなんでもない。



当時は土地や株で大儲けした不動産や金融関係が痛手を被ることとなるのだが、世界的金融不安は業種に関係がないところが大きく違うところ。



10年以上も前にも業界は厳しい、厳しい、といわれていた時代に1玉7~8円もする純金メッキの金の玉が売れていた。



クローム玉が1円50銭前後の時代だ。



厳しい、厳しいといわれながらもこんな高価な玉の需要があった。



当時、真鍮玉を金の玉と呼んでいたが、半年ほどでメッキが剥がれ、酸化して黒ずんでくる、という欠点があったが、純金メッキ玉は剥げない耐久性を兼ね備えていたため、こんな高価な値段になった。



330台のパチンココーナーに金の玉を導入したホールは、180万個が必要だった。



これを金とクロームで比較すると1260万円VS270万円。その差1000万円近い。今ならこんなところへ投資するホールはない。



純金メッキ玉を導入したホールの社長はこんな感想を漏らしている。



「初めて導入ホールへ視察に行ったとき、何だこれは!の衝撃を食らった。金の迫力の第一印象はすごかった。そのホールはメダルも金を使っていたので小判のように見えたのでもっと迫力があった。高いから競合店は入れられない。これは差別化になる、と直感した。競合地域には販売して欲しくない」とぞっこんだった。



当時はまだ金融機関からの融資もあったが、今はそれがない。



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