パチンコ日報

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大地震でも台から離れないパチンコ客心理

阪神大震災の大惨劇の記憶の中で、忘れ去られているのが1994年12月28日に起こったマグニチュード7.6の三陸はるか沖地震だ。



地震発生時刻が午後9時過ぎだったこともあり、ホールではフィーバー中の客が逃げ遅れて2人の犠牲者が出た。



大阪での放火事件は火の手の回りが早くて逃げ遅れた客もいるが、災害時でも台を離れようとしないパチンコ客心理がこの地震で犠牲者を生んだ。



12月28日、青森県八戸市の繁華街で知られる朔日町は、御用納めを終え忘年会帰りでほろ酔い気分のサラリーマンやOLで賑わいをみせていた。



その一画、六日町交差点の角地にあった「ダイエー」は、1週間前に新装オープンしたこともあって、240坪のホール内に設置された380台のうち280台がお客で埋まっていた。



午後9時19分、まさに天地をきしませながら激しい揺れが襲いかかった。

お客のほとんどが、目を上部に移したその瞬間、天井のコンクリートに亀裂が走り、白い煙のようなものがパーッと舞い散った。



それまでBGMを背景に、チンジャラの喧騒に包まれていたホール内が悲鳴と怒号に一変した。



誰彼言うともなく、「逃げろ」、「危ない」の声があちこちから上がり、客達はいっせいにイスから立ちあがった。



建物を支えていた柱がひしゃげ、それとともにズ、ズーン、ド、ドーンと何段階かに分けて天井が崩れ落ちてきた。



床に散乱した夥しいほどのパチンコ玉を掻き分けるように、身を屈め、床を泳ぐように出口を求める客でホール内は修羅場と化した。



この三陸沖地震で3階建てのダイエービルが倒壊、遊技客の32歳の自衛官と46歳の大工の2人が死亡。飛び散った玉に足をとられ転倒して骨折した2人の客が入院。合わせて10人あまりの負傷者を出す惨事となった。



亡くなった2人は、地震発生時、フィーバー中だったという。地震の発生直後、客の大半が逃げ惑う中、なかなかハンドルから手を放そうとしなかったという。



さらに、揺れが落ち着いた数10分後に倒壊したホールに入った店員の1人は、信じられない光景を目の当たりに、唖然とした。



なんと、崩れかけた天井板を片手で支えながら、パチスロに興じていたお客がいたというのである。



危険が迫りながらも、なお機械にしがみついて離れない客に店員達は一様に驚かされた。



遊技に熱中する客の優先順位は、逃げることより換金したときの金額を思い浮かべながら、打ち続けることが大事なことのようだ。



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顧客管理の極意

「差別化の決め手となるのは顧客管理」といいきるのは顧客管理のアウトソーシング会社の社長。



昔は顧客管理ができていないホールのDMの送り方といえば、常連客にもまったく来ていない客にも同じ文面のDMを送っていた。



それは顧客管理とはいえない。



同社のやり方はある一定の期間を設定して貯玉数の多い人のランキングを付けて、上位者には封書でDMを送る。



この際、貯玉数は多くても来店回数の少ない客はふるいに落とす。



3000人の会員数があるとして、貯玉も多く来店回数の多い客は封書、それ以外の客ははがき、と送る方法を変える。



もちろん文面も変える。



さらに来ていない客の掘り起こしもする。



来店していなくて久しぶりに来店した客には「ずっとこられていませんでしたが、ひさしぶりに来ていただいてありがとうございました」と後日お礼のはがきを出す。



DMをカウンターへ持ってくればたまごを渡す。



1パック100円ぐらいだが、これが喜ばれる。たまご作戦のリピート率は38%ほど。来たかどうかをチェックして初めて顧客管理といえるのだが、この部分が以外となおざりにされている。



さらにDMは配達指定を使う。新装開店に絶対間に合わせるため。+30円余分にかかるが、客からすれば大事に扱われている気分になる。



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業者の非業な死

事件が起こったのは12月29日の深夜だった。ホールの忘年会が開かれ関連業者が宴席に招かれた。



悲劇は2次会のスナックで起こった。



酒が入ると凶暴になるオーナーだった。酔った勢いで業者の一人に工事代の金銭面で難癖をつけてきた。一方的に激高し、こぶしで顔面を殴られ、業者は床に倒れた。



その弾みで胃の中のもの逆流し、窒息だった。



0:17 救急車が到着。



0:37 心配停止状態。



1:30 搬送先の病院で死亡が確認された。



2:00 傷害致死容疑で加害者の身柄が確保された。



業者が所属していた会社の社長は、真相を知りたいと思い、同席していた業者やスナックのママに事情を聞いたが「見ていなかった」と誰もが固く口をつぐんだ。



業者やスナックのママにすれば加害者は大事なお客さんでもある。加害者が不利になる証言もしたくないし、事件に関わりあいたくない、というのが本音のようだった。



社長はいう。



「26年間商売してきて土下座させられたことは何度もあるが、殴られたことはない。死んだO君はぶっきらぼうで口は悪いが、それだけお客さんに対しては必死だった。責任感は人一倍強かった。そうやってお客さんに信頼感を植えつけていった。入社して11年。最初は工事部隊で入ったが、この1~2年で満足してもらえる営業マンになっていた。『社長を出せ』といわれなくなった矢先の出来事だった。本当に悔しい。両腕をもがれた思いだ」



刑事、民事の両面で弁護団を組んで真相を解明していく、と意気込んでいたがうやむやに終わった。



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超メガホールは今

2000台規模のホールを仕掛けたオーナーの言葉である。



「この商売は見てくれも大事。ダイナムは見てくれが悪い。負けてもらわないと商売にならない。負けてくれた結果を演出するためにも、見かけを豪華にしたい。勝てる雰囲気にしたい。見かけは最高のランクに仕上がった。ただ、建築費の無駄はなくした。大理石は使っていないがシートでうまくごまかしている」



平日の稼働は厳しいものがあったが、休日で平日をカバーするだけのスケールメリットがあった。



スタッフの数だけでも70人。



8割方を女性スタッフでまかないたかった。派遣の時給を2000円と奮発したが半分しか集まらなかった。



同ホールから車で2~3分のほぼ同時期にオープンしたアウトレットモールには900人もの応募が殺到したため、オーナーとしては余計やり切れない気持ちがあった。



今から6年ほど前の話だが、今なら時給2000円なら900人は来る。



オーナーの持論は「ネオンギラギラがこの商売の原点。客がやる気を出す色や雰囲気が大切で、煽りも大事。出ていなくても出ているように見せる演出が必要」



これが箱積みの原点である。



ちなみに同ホールは衣装ケースのような巨大な玉箱を使っていた。



人の手では持ち上げられないので専用のリフトを使っていた。



超大型店の宣伝広告費も莫大だった。



1回のチラシが85万枚。高速を使って来る客を想定してかなり広範囲にまいた。



テレビ、ラジオでも広告をがんがん流した。1億円の宣伝費をかけた。



その甲斐あってオープン初日に2000台は埋まった。



ひと月で2億の赤を出すつもりだったが、3日で1億飛んでしまった。



その後、休日の稼働も落ちたといわれているが、その後持ち直しているとも聞いた。遠いので気軽に視察へ行くこともできない。



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マルハン対弱小店

今は独立して小さなホールの経営をやっている社長が、まだサラリーマンでホールに勤めていたときの話。



管理部長の肩書きが付いていたがホールの現場経験はなかった。もちろん、釘なども叩いたことはなかった。



管理していたホールの近くにマルハンが出店することになった。幽霊診療所で開店妨害を受け、なかなか開店ができなかったホールの近くだった。



マルハンの出店で進退がかかっていた。マルハンと勝負して負けたら会社を辞める覚悟だった。



負けないために自分の中で一番不足していた釘の技術、知識を勉強するために、東京の釘学校の門を叩き統一ゲージを学んだ。



「大阪のP店はレベルが低い。知識、技術、モノの考え方がなっていない。口先だけで通用する。均一化する中での勝負となると統一ゲージが分からないと生き残れない。統一ゲージを極めると1度の違いが分かる。玉の回転が分かる。2本目の渡りの角度を変えることでT1Yが制御できる。確変ベースで客は出す店かどうかを判断する。確変ベースを上げる努力を毎日していたらいい意味で同情がもらえる。『動いたらかわいそう』と思ってくれたら最高。今までの努力を認めてくれるとお客さまは3~4万円置いていってくれる」



マルハンがオープンして余分に100万円抜けるようになった。しかも、安定的に。現実に利益を取りながら稼働が上がり、つぶれるといわれていたホールが黒字を上げることができた。



マルハンの出店により閉店するホールもあるが、店の規模ではなく努力が足りないということである。



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