「ボンボン」っていう、おしゃぶりキャンデイーが駄菓子屋にまだあった頃の話し。今でもあるかも知れないけど見かけることがない。
野球のボールよりは小さく、ゴルフボールよりは大きい氷の塊がゴムに覆われている。
静岡県は浜松市のある公園の一角で、友達と「しゃぶり」ついていたのが、そのキャンデイーの「ボンボン」である。
それも大の大人がブランコに乗って…。大人と言ってもまだ、20代前半のガキの頃ではあったが、想像しがたい場面ではある。
貧乏イコール…あの頃が瞬間的に脳裏を掠めることがある。小遣いも呑み代もまま成らない時代。ふたつ後輩の友達が夏負けしたのか歩けない。
もともと彼は、体は細く色白で背がひょろっと高いから病弱といわれても仕方がない。
「ちょっと、ここで待ってろ!すぐ戻るから」とボンボンを買ってきた。
ポケットには5円玉しかないので1個しか買えなかったが、「おい、これをこうやってかじるんだ」と丸い氷のゴムをかじって見せた。
彼は「ボンボン」に出会うのが初めてで、目をキョロキョロさせながら、見入っている。
雪国育ちで夏系には縁が薄いのかも知れない。
彼の田舎は北海道の小樽の近くだといっていた記憶がする。猛暑を経験することがないから当然だ。
苦労知らずの「坊ちゃん」だから丁度、「ボンボン」の氷が、お似合いだ。
おいしい、おいしいとかじりついていた。貧乏人ならば知っている駄菓子屋の氷菓子をえらく感激していた彼こそ、「ぼんぼん」育ちであるから、笑えて来る。
「ぼんぼん育ち」と「貧乏長屋の下町っこ」の場違いな出会いである。
その共通点が見つからない。
あの頃はそんなギャグは思いつきもしなかったが、ボンボンを思い出すと、あの「ぼんぼん野郎」で、吹いてしまうのは、その後の強烈な出会いが証明している。
苦しみと多難に満ちた青春時代の苦い思い出も今となれば、すべてを優しさに変換できるのは、単に過ぎ去った時間のセイなのだろうか。
あれから数年も経ったある頃、東京の居酒屋で彼の兄さんから「弟が大変にお世話になって。一枚しかない5円玉でご馳走されたボンボンがどんなに有難がったことやら。その心がうれしい。弟から聞きました」
一生忘れないとまで言ってもらったことが、月日がどんなに流れても鮮明によみがえって来る。
それからは、その兄さんには、新宿、赤坂、六本木と高級レストランや高級クラブに何度か招待されて、来ていく服と靴がなくて、本当に困り果てたことがある。
みんな着飾ってくるのに着ていく服がないのだ。ちゃんとした履物も見つからない。
ウン十万、ウン百万もする接待がどどっと続いていった。ただ、別世界を観覧しているようで、実感がわかなかったことをおぼろげに覚えている。ただ、誘われるままについて行ったのだ。
つづく

パチンコとは関係ない話なのでしょうか?
ピンバック: Jさん
地域色に伴った商売、店作りといった所でしょうか?見落としている店舗、パチンコに限らずあると思います。下町風の立地に高級感溢れる夢心地を味わえる洒落たシャンデリアなんてある大型店におばぁちゃんはどんな姿で気持ちでパチンコへ行く?お風呂上りのおっちゃんや娘さんは?田舎町に確かに高級感を味わえる店があってもいい。でも入る気持ちや格好がつかない。それが通用したのは過去の話だ。目先や形だけでなく心から原点に戻らなければならないようだ・・・
ピンバック: 関西育ち