慣れないフランス料理に舌鼓をしながら、緊張した面持ちで、上品ぶることもできないタチで静かに立ち振る舞っていた。
その時である。
いきなり、まだちいちゃかった息子の声が辺りの静けさを打ち破るように「お母さん!しょんべん場~~~どこ?」と鳴り響いた。
「おしっこ~~~」と、小さく耳元でいえば良いのに、大きな声でしょんべん「場」とは何事か。
あたりの冷ややかな目線は鋭く、痛くも感じた。
どういう教育をしているのかと思われたに違いない。
下町っ子には、やはり場違いだった。
「お母さん!ご飯ないの?」フランスパンとか高級フランス料理が次々とはこばれては来るが、ずらっと並んだ料理にはご飯がない。
そんなことで食事が喉にも通らずお腹をすかしていた。寝付く子供をよそに、部屋を飛び出して妻と一緒にホテルのレストランへと向かった。
が、いくらメニューを見渡しても最低の料金が1500円(その頃で1500円であるから、そりゃびっくりした!)。
あとはどれも3000円以上のクラス。
仕方なく最低のカレーライスを注文したが、2人で3000円のカレーライスの値段にただ、驚くあまり、食べ心地がしなかったのを昨日のように覚えている。
商店街の250円のカレーライスがよほど美味しく感じたのはなぜだろうか。
いまだに新宿の話にもなると、とっくに時効になってしまった「恥ばな」に花が咲く。
5円玉1枚で買った「ボンボン」が、桁違いな待遇を受けることになったのだが。
弟以上に気をつかってくれたあの兄さんには悪いが、高級ホテルのデイナーショーも、フランス料理も、赤坂のクラブも、六本木の有名なディスコも、銀座並木通りの一流のふぐやもみんなみんな場違いな存在であった。
身分相応でなければ、何だって不釣合いなことが起きる。
銀座や赤坂や高級なクラブを顔パスでならした、頃の有名人だって、ひとつ階段を踏み外せば、どん底にも落ちて可笑しくない世知辛い世の中。
昨日まで持てはやされていた、あの大物がションボリ~と裏道をコートの襟をたてて、帽子を深く被り顔のささぬようにと、肩身を狭くして歩いているのを見かけたという風のうわさではあるが、何とも侘しく感じる。
ドラマでは良く拝見する銀座のガード下の路地裏というからおおよそ見当のつく範囲ではある。
ただ、悔いが残っているとすれば、山口百恵を貸し切って、30分で1曲の値段がどうこうと。ほんまに、そんなの実現するんかと、半信半疑の話ではあったが、内藤やすこが大麻事件? で沈んでいた頃、兄さんたちに連れられて彼女に出会ったことなど実例が次々とあるので、満更でもなかった。
裏街道にはこんなこともあるのかと、段々と引き込まれて行った。山口百恵が全盛期の頃であって、いつも、口ずさむほどのフアンでなぜ、もうすこし、甘えることができなかったのかと。
まあ、いつだって庶民の感覚が一番いい。
「肩」こらず、「か」しこまらず、「片」意地張らず3Kで平気で、いれる。
何より普段着がいい。
銀座のふぐ屋より、街角の玄品ふぐ1980円でひれ酒。仲間で弱小店舗の成果を語り励ます時が最高にうまい酒だ。
いつだってよわい人間の立場は厳しいが、つよい人間にはわからない、あったかみがある。
差別ではなく、区別ってことでいい。
弱小店舗に携わる我々にできることは、大手には添いの合わない、場違いなお客を区別して行くことではないだろうか。
了