パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

店長は台の単価を知るべきだ

先日北斗9を打ってきました。以下はその時のデータです。

1万円目:198回転で49分消費
2万円目:192回転で44分消費
3万円目:169回転で40分消費
平均数値:186回(千円S 18.6)で44分消費

このデータから1時間で消費するお金はおおよそ14000円程度の計算になります。
有体に言えばこの店舗の北斗9は1時間で14000円ツッコむということですね。

よく私は店長たちに「今のパチンコは1時間でいくら使う?」という質問を投げかけます。
すると2万円くらいですか?2万4千くらい?というトンチンカンな答えが返ってきます。
中には質問後に電卓を叩き始める者もいますね。

ホールコンでは玉利、玉単価、割数等々加工されたデータを見ることができます。
ほとんどの店長はこの加工されたデータをもとにさまざまな行動に移るわけです。
しかしそこからは商売の真の現状を知ることが困難なのです。

どんなお店でも自分の店のケーキがいくら、コーヒーがいくらというふうに商品の単価は
アルバイトでも知っています。ところがパチンコ店の場合、アルバイトはおろか店長、更には部長、社長も知らないケースが非常に多く見受けられます。

1時間あたりの売り上げというものは言い換えれば顧客の痛みと解釈することもできます。
その痛みに対して顧客に与えてあげることのできる喜びはどれほどのものかを考える必要があるとは思いませんか。パチンコとは言え、商売です。商売の基本は顧客に真正面から向き合うことと考えます。
今までとは少し視点を変えてものづくりに励んでみてはいかがでしょうか?


人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。

技術は心に勝てない

技術は申し分ない。彼が釘を叩けば必ず業績が上がる。結果、オーナーから抜群の信頼を勝ち取る事ができた。しかし彼は部下の育成には全く興味を示さず、昼間は競輪、競艇、競馬に、夜は麻雀に明け暮れていた。釘は朝の4時から4店舗の釘を叩き、そうして一日を締めくくるという具合だった。一体いつ寝るのかは定かではない。

今から35年も前の話です。彼は私の上司で、私はその上司に憧れていました。
俗に「釘の神様」と呼ばれていたその部長は口数が少なく、反面釘に関してはシビアでした。
それから数年たち、ダイコクのベース管理なる概念が業界に浸透しようとする頃、私たち店長8人が上野の釘の研修を受けに行くことになりました。

会社ではオーナーが「これからはベース管理、スタート管理を最優先に」と言い放つと、
その理論を部長にも伝え、店長たちに徹底するよう指示を出したのです。
一言で言えば部長は腐りました。
「お前らが釘を叩くことには反対はしないが、ベースだのスタートだの俺には関係ねえ」
と自己流で通すことを明言されたのです。

それから2年後、誰に知られるともなく、ひっそりと部長はこの会社を辞められました。
部長が隆盛を極めていた頃、社長は「もし部長が死んだなら会社は社葬を行う」とまで言わしめたのです。その部長がほとんどクビ状態でやめたという事実は私にとって衝撃でした。

とどのつまり部長の人間性に問題があった、と専務は私たちに告げられました。
環境が変わる。時代が変わる。そこに順応出来ない者は会社に残ることはできない。そういうことなのでしょうか。

「技術は心に勝てない」とはある漫画に挿入されていた借り物の言葉ですが、この言葉はかつての部長を連想させるのです。私は技術に長けていても志が低い、心の根っこが卑しい、または貧しい、心根が腐っていたのではその技術はやがて使い物にならなくなるという風に解釈しました。では正しい心とは何でしょうか。

ものづくりにおいて謙虚であるべきだと思うのです。そしてその技術を惜しまず部下や後輩たちに伝え続けること。この伝えるという行為そのものが人間に課せられた一つの使命のような気がしてなりません。技術は後からついてくるもの。その心の根っこを正すのが上司としての役割ではないでしょうか。


人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。

釘は己なり

山田塾の授業は八割が釘漬けの毎日です。残りの二割は私が人生を逃げ回っていた話をしながら説教めいた時間に当てます。塾生達にとっては退屈な時間です。全く人の言葉というものはある意味説得力がありません。

しかし言葉は嘘をつきますが技術は嘘をつきません。自分の心がヒヨっていたり、ものづくりの細かな過程を誤魔化したり、要領をかましたりすれば釘はそれを如実に伝えます。これはホールの調整においても言えることです。

研修中、玉ゲージの扱い方を教えます。最初にゲージ棒の握り方やちょうど良い塩梅のタッチとはこれくらいだとほぼ大まかに教えるだけです。

一時間ほど自主練させたのち、ゲームを行います。盤面に6箇所ある命釘を同じタッチで作りなさい。11.08が掛かり11.07が掛からない100分の1ミリの精度を要求します。制限時間は正味20分。それで何個作れるのかを競い合いなさい。そう命じてできた命釘のタッチを私が確認して回るのです。未経験者は20分で3個から7〜8個くらいでしょうか。

ある程度現場で釘を叩いている者で腕に自信のあるものは50個とか60個とか作る者もいます。そのゲームを4回実施します。すると誰もが驚くほどの成長を見せるのです。やらせておいて言うのもなんですが、私は毎回人間の能力ってすごいなと感心するのです。

因みに8000名を超える塾生の中で最高記録は200個を超えています。つまり1台に6箇所の命釘がある台をこの者は20分で33台以上仕上げられるスキルを持っているという事です。彼が最初に作った個数は60個でした。僅か2時間程度の間にこれほど成長するのです。

これは間違いなく彼らの努力の賜物です。私はそのステージを提供しただけに過ぎません。

小さな成長が自身の嬉しさに変わり、そこから興味を抱くこともあります。年長者が小言や説教を幾つ並べても彼ら自身の経験に勝るものはありません。釘はありがたいものです。

己の心のあり方や佇まいがそのまま出るのです。彼らが不安いっぱいで叩いた釘は見るも無残なものです。しかし彼らの心が躍動し始めた釘はその精度において満点はやれないものの粋の良い釘となってその様子を伝えてくれます。

ものづくりの根底にあるもの。それはつくり手の心模様。まさに釘は己なりなのです。



人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。

Z世代はパチンコを激変させるか

アメリカで言うところのZ世代(1996年〜2012年生まれ)の特徴は、
・買い物も職探しもYouTube
・共感できないブランドはスルー
・貯蓄と投資が大好き
・借金は嫌い 
等々『世界を激変させるニューノーマル』と銘打ち今後のマーケティングに大きな変化が訪れるという。

戦略・戦術・戦闘という言葉を用いてビジネスコンサルタントは企業の活性化を促す取り組みをされる。私は戦略を以下のようにして教わった。

乗り物に例えれば、
江戸時代の人力車から始まり移動の時間を短くするという取り組みは文明の現れだ。

文明は限りなくゼロに近づくことを是とする。故に人力車より速い車や蒸気機関車などの乗り物が新たに発明された。これこそが戦略の範疇にあると先生はいった。

さらに言えば蒸気機関車では燃料の改善や車輪、線路その他諸々の部分に改良を加え更なる最高速度を求める。しかしこれらは戦術戦闘の領域であり、決して戦略ではない。

蒸気機関車に限界を感じると文明は電気で動く車両、即ち電車をつくる。これは全く新しく世の中を驚かせるほどの発明だった。つまり右肩上がりの延長線上にあるものではなく、そこから別次元に飛び越す発想を戦略という。

国鉄は次に明治36年に記録されたドイツの210km/時速に追いつけ追い越せのスローガンで各車両に軽いモーターを搭載した新幹線なるものを発表する。これもまた戦略であると件の先生は熱く戦略を語った。

パチンコでいえばチューリップの開閉がロマンだったが、メーカーは大量出玉を画策し羽根ものやフィーバー機を作成した。これはある意味での戦略と言えるだろう。その成果は潰れかかっていたパチンコ店を見事に蘇生させた。

しかしながら、ものとことには必ず終わりがある。パチンコそのものに翳りが見え始めてから改善改良とは程遠い変更がなされるばかりで戦略もへったくれもあったものではない。今や誰しもが業界の滅亡を予感している。

果たして改悪なる発想を捨てて業界が息を吹き返すほどの戦略を誰が画策するのか。

それは前出のZ世代以外には考えられない。X世代(1960〜1970生くらい)やミレニアム世代と呼ばれる(X とZの中間世代)Y世代には期待すらできない。

Z世代の極めて冷静でクレバーなものの考え方があれば世の中を、アッと言わせるものを作れるかもしれない。と安直で無責任な期待をしてしまう。もっとも購買にシビアな彼らがパチンコはN Oという評価をつけた時点で業界は無くなるだろう。
 

人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。

じいさんと俺の釘 〜藤本と私〜

森羅万象。生けるものは死に、死は何かをもたらす。

父の死も藤本の死もこの世に残るべくして残された私に何らかのメッセージを残した。

そう思っていたもののそれらは時間によって忘れさせられる。

気がつけば私の歳は六十一歳。藤本が癌にかかった歳だ。彼は私に気づかれることなく最後のメッセージとして「俺の口になってくれ」という言葉で結んだ。そして私はその意志を継いだ気でいる。
 
藤本から教えられた釘の技術と理論の数々は山田塾の研修という形で今なお生きている。

釘研修のやり方は其々だが私のやり方を元にして山田塾を超える業績を上げる釘学校が二社ある。いずれも藤本とそして私ともゆかりのある方々だ。
 
藤本に紹介して貰った岡山の企業では近頃、山田塾のノウハウを店長たちが半年かけて、部下や後輩の為にと二冊のテキストを作成し終えた。それはとても嬉しい出来事だった。

こうして藤本の釘に対する考え方は死して尚、場所と人と形を変えて伝わっている。

成功には二つある。自分が死んだ後も誰かがそれを引き継ぎ世に広めることを大成という。一人だけの理論と技術を武器とし、自分だけしかできない成功を小成という。その意味において藤本は紛れもなく前者であろう。と、ある本を読んだ時そんなことを思った。

私は藤本から受けた恩を何かで報いるという極めて稀有な課題を掲げながら、この二十年ほどを生きてきたわけではない。ただ自分が生きるために生きてきただけだった。

私の人生はそのように高尚なものとは程遠く、極めて俗っぽいものだ。ただ自分が何かに押しつぶされそうになり、人生を諦めたくなった時に藤本を思い出し、彼から授かった課題を継続するという身勝手で一見正しい理屈を掲げながら、かろうじて生きてきた。
 
ただ、彼がこの世に存在した。その存在が私の生き様に大きな影響を与えたという事実は紛れもないものだし、それ以上でもなくまたそれ以下でもない。それをどう解釈するかは自分の問題であり、誰かに押し付けたり、共感を促したりするものではない。
私はパチンコの未来のために生きようとは思わない。そんな器量を私は持ち合わせていないし、そのことに対する熱情もない。分不相応なことはやらないのである。

では私ができることは何か。目の前にいる塾生たちに良いと思えることを伝え続けること。それだけだ。

毎年新規顧客の申し込みがなくなれば廃業しようと心に決めているのだが、まだその時期ではないようだ。つまり藤本と私の関係はまだこれからも続くということらしい。

時に人生は生き難い。
 



人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。