父の死も藤本の死もこの世に残るべくして残された私に何らかのメッセージを残した。
そう思っていたもののそれらは時間によって忘れさせられる。
気がつけば私の歳は六十一歳。藤本が癌にかかった歳だ。彼は私に気づかれることなく最後のメッセージとして「俺の口になってくれ」という言葉で結んだ。そして私はその意志を継いだ気でいる。
藤本から教えられた釘の技術と理論の数々は山田塾の研修という形で今なお生きている。
釘研修のやり方は其々だが私のやり方を元にして山田塾を超える業績を上げる釘学校が二社ある。いずれも藤本とそして私ともゆかりのある方々だ。
藤本に紹介して貰った岡山の企業では近頃、山田塾のノウハウを店長たちが半年かけて、部下や後輩の為にと二冊のテキストを作成し終えた。それはとても嬉しい出来事だった。
こうして藤本の釘に対する考え方は死して尚、場所と人と形を変えて伝わっている。
成功には二つある。自分が死んだ後も誰かがそれを引き継ぎ世に広めることを大成という。一人だけの理論と技術を武器とし、自分だけしかできない成功を小成という。その意味において藤本は紛れもなく前者であろう。と、ある本を読んだ時そんなことを思った。
私は藤本から受けた恩を何かで報いるという極めて稀有な課題を掲げながら、この二十年ほどを生きてきたわけではない。ただ自分が生きるために生きてきただけだった。
私の人生はそのように高尚なものとは程遠く、極めて俗っぽいものだ。ただ自分が何かに押しつぶされそうになり、人生を諦めたくなった時に藤本を思い出し、彼から授かった課題を継続するという身勝手で一見正しい理屈を掲げながら、かろうじて生きてきた。
ただ、彼がこの世に存在した。その存在が私の生き様に大きな影響を与えたという事実は紛れもないものだし、それ以上でもなくまたそれ以下でもない。それをどう解釈するかは自分の問題であり、誰かに押し付けたり、共感を促したりするものではない。
私はパチンコの未来のために生きようとは思わない。そんな器量を私は持ち合わせていないし、そのことに対する熱情もない。分不相応なことはやらないのである。
では私ができることは何か。目の前にいる塾生たちに良いと思えることを伝え続けること。それだけだ。
毎年新規顧客の申し込みがなくなれば廃業しようと心に決めているのだが、まだその時期ではないようだ。つまり藤本と私の関係はまだこれからも続くということらしい。
時に人生は生き難い。
了

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2浪したらパチプロになろうと考え、故田山プロが打つ池袋の山楽に行ったり、溝の口のBーTOP、用賀の日の丸やクローバー、桜新町の日の丸と田山さんの釘の見切りやパチンコに対する姿勢を目の当たりにしてきました。何度か、田山さんに叱られた時もありました。。少しくらい釘が読めるからと出しゃばるなと。。。。。
あれから約30年が経過しました。
今は、ほとんどパチンコもスロットも打ちませんが、あの頃が懐かしく思い出されます。機種構成もギャンブル性も絶妙にバランスがとれた良い時代でしたね。
今のパチンコ業界は好きではありませんが、もういつでも早期退職できる立場になったので、パチンコ店に再就職して、茶坊主から始めて、いつか釘を叩けるような立場になったら、それはそれで面白い人生だなと思う時があります。
ピンバック: 換金禁止
面白い人生、いいじゃないですか。根拠のない常識論が横行し、今や善か悪かのジャッジで人の良し悪しを決める訳のわからないこの世の中です。自分の人生やれることがあれば、そして気が向けばなんでもやったらいいと思います。何せ一度きりの人生ですから。
コメントありがとうございました。
ピンバック: 山田塾