パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

競合店の出現にも動かざること山の如しを実践して成功

以下は17年以上前のホールアドバイザーの業界回顧録であることを念頭に読み進んでいただきたい。戦略や戦術は時代が変わろうとも基本的な考え方は変わらない、ということを伝えたい。

以下本文

私がサポートしている店舗(1円専門店)から歩いて2分の場所に、昨年11月に競合店が加わった。

不採算店だった店舗の賃貸でのグランドオープン。新台も大量導入。設備も最新のものに入れ替えた。

営業形態は4円だった。

この時期の4円は先が見えていた。

300台クラスのホールで、オープン当初は賑わいを見せていた。サポートしている店舗のお客様もそちらの新店へ流れた。

当然店長は焦りを感じていたが、私の指示は「一切動くな」。

新店は1カ月も経たないうちに、客数は1桁にまで一気に落ちた。

競合店は12月に入ったところで全台1円に切り替えてきた。

再び、お客様は競合店に流れることになるが、必ずお客様は戻ってくる自信があったので、「釘のアケシメもイベントも一切打たなくていい」と再び指示を出した。

釘は開ければ、必ず閉めなければいけない。

相手は新台を大量に導入しているが、その分機械代の回収を図らなければいけない。ましてや高い賃料も払っている。

稼働状況から売上げを推測して、必要経費や支払いにかかる経費を計算していけば、いくら手元に残るかも予測がつく。

サポート店は賃料も必要ないし、この1年半新台を買わせていない。

どちらが営業的に有利かはいうまでもない。

競合店が釘を閉めてくるのは手に取るように分かっていたので、「動かない」ことを指示した。

競合店は新台がたくさんあるので、最初はお客様が1カ月ほどで戻ってくるだろう、と予想していたが、わずか2週間で戻ってきた。

これは嬉しい誤算である。

相手の手の内が分かれば、作戦はいくらでも立てられるものだ。

動かざること山の如しである。

何事にも揺らがされない心を持ち、動くべき時までは決して軽々しく動いてはいけない、という教えを忠実に守った結果でもあった。


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ティファニーの偽物で財を成し…今は年商190億円の会社へ

このエントリーは6年前に書いたものです。

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90年代半ばブランド景品がブームになった時期があった。それまでのパチンコ景品と言え掛け率の低いおもちゃなどが多かった中、ブランド品は衝撃的だった。

当時は40個交換時代。一般景品なら上代1万円のものが取れるが、換金すると6000円に目減りする。それが魅力的な景品であれば、換金せずに景品を取る流れがブランド景品によって生まれた。

パチンコ業界へティファニーのオープンハートのネックレスを持ち込んだ会社があった。「あった」と過去形になっているように今は存在しない。

シルバーのオープンハートの定価1万5000円を1万円景品で出していた。もちろん偽物だからできたことだ。箱から巾着袋までコピーして、業界の景品業者に卸した。

当時の銀価格は1g6円。ペンダントトップに3g使っても20円。加工賃を入れて1000円ほどで偽物を作っていた。

「日本中のティファニーの偽物は、100%自分がやっていた」と独白する。

景品業者はそれを本物と思って3000~4000円で仕入れて、ホールへは5000~6000円で販売していた。

日本でも一流企業になった会社の中には、草創期にはかなりヤバいことに手を出して財を成し、その後紳士になって行くパターンがあるが、まさにこのケースがそれ。偽物で16億円儲け、今は年商190億円の貿易会社になっている、という。

景品の方に話を戻そう。

ティファニーのオープンハートが流行った時代ということもあり、景品でも飛ぶように出た。景品が魅力的だったので、「オープンハートが入荷しました」とポスターを貼ると、これ目当ての若者が増えた。

品不足から「1万円でもいいから入れてくれ」というホールも出るほど。損して得取れ。ティファーに欲しさにお客は2500発出すためにおカネを使ってくれた。

この社長は中国製の偽物Gショックにも手を出そうとしたが、Gショックは触れる機会が多いので、偽物とバレそうなレベルだったので思いとどまった。オープンハートはどれが偽物かも比べようがなかった。

ブランド景品もやがて等価交換になってからはさっぱり出なくなる。それまでも一般景品は5%未満の市場でブランド景品によって引き上げられたわけではないが、その数%の市場が失われたことで景品業者も淘汰されていく。

本来はタバコやお菓子など景品を取るためにおカネを使ってくれるのがパチンコのビジネスモデルだったものが、店の外で客からタバコを買い取る暴力団がすぐに出てきたように、換金の歴史は長い。

等価は高額景品を扱う景品業者を駆逐してしまった。



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競合店からハニートラップをかけられ店を追われた店長

今から20年以上も前の話だ。

四国のとある県で飛ぶ鳥を落とす勢いで、競合店を圧倒するホールが突如出現した。当時、店舗の平均台数が300台の時代に、その店舗は600台に規模を誇った。四国などの田舎町となると特にムラ意識が強く、周りと違うことをするのを嫌う傾向が強い。

このホールの出現によって田舎町の既存店は客を奪われることなり、600台の店舗が目の上のたんこぶ状態になってきた。

600台のホールは集客のためにありとあらゆる方法を使った。ま、当時としては業界スタンダードだったモーニングや裏モノも活用した。それはお客の懐を痛めつけることが目的ではなく、あくまでもお客を喜ばせるためのものだった。

このホールの店長の給料はどんどん上がっていった。カネは飲み代などに消えていた。

競合店がこの600台のホールを潰すために考えた行動が、店長を潰すことだった。店長さえいなくなれば、店は潰れる、と。

競合店のオーナーの一人はヤクザとの付き合いもあった。店長潰しをヤクザに依頼した。方法はヤクザに任せた。

600台の店の店長は行きつけの飲み屋があった。そこの10代の女の子といい仲になった。やがてプライベートでデートするようになり、大人の関係になるまで時間はかからなかった。

ある日、店長の下に若い男が尋ねてきた。

「未成年に手をつけて、この落とし前はどうつける気だ」と凄んだ。

男はベッドで会話した録音テープと、望遠レンズで撮影した2人の写真を元に、ゆすりをかけてきた。

この会話の中で、女に勧められて覚せい剤に手を出したくだりまで録音されていた。女に手を出しただけでなく、店長は覚せい剤や大麻にまで手を染めていた。

女性との肉体関係は民事だが、覚せい剤となると刑事事件になる。

男は「警察に密告する」とさらに脅しをかけてきた。

店長は窮地に立たされた。

「どうすればいい?」と男に聞くとこう条件を出してきた。

「慰謝料は500万円。店長を辞めたら今回のことは水に流す」

高給取りだったので500万円はすぐに用立てられる金額だった。店長職はどこのホールへ行ってもなれる自信があったので、600台のホールに未練はなかった。

カセットテープと写真のネガを渡すことを条件に、店長は男の要求を呑んだ。

後で分かったことだが、これはヤクザが仕込んだハニートラップだった。店長が行きつけの店を探し出し、その店で店長が恋心を抱いている女を探り当て、女にカネを渡して罠を仕掛けたものだった。

店の新入りのホステスではなく、本人が恋心を抱いていた女性だったので、店長もまったくノーガードだった。

ホールを辞めた店長は、狭い四国ではこれ以上は、働かれないので大阪へ出てきた。大阪では下っ端社員から働いたが、すぐに頭角を現し、オーナーから店長になってくれ、と言われるまでに時間はかからなかったが、断り続け、居辛くなると店を転転とする生活を送っていた。

四国の一件で店長は懲り懲り。さほど責任がない主任で30~40万円の給料でやるのが一番楽なことが分かったからだった。



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一般景品市場に食指を動かした商務省

かつて、海外のスロットメーカーが日本市場に参入できた背景には、“外圧”があった、といわれている。



当時は30兆円産業と喧伝されていた時代で、誰もがパチンコ業界参入に食指を動かした。



“外圧”を使ってまで苦労して参入した外資メーカーも吸収合併されたり、撤退したりで初期の目的を達成することはできなかったが、パチンコ業界を貿易摩擦解消の場にしようとした動きがあった。



日経新聞のある記事が某国商務省の関係者の目に止まった。



それはパチンコ店で景品のマウンテンバイクが飛ぶように売れている、という小さなカコミ記事だった。



当時の業界の市場規模は30兆円。そのうち95~97%が換金としても景品市場規模は決して侮れない。



「レジャー白書2007」によると市場規模27兆5000億円の時代で一般景品市場規模は8000億円、と推計されてる。



貿易赤字の解消に目をつけたのが一般景品市場だった。



一時期1万円のタラバガニが飛ぶように売れた時代もあった。牛肉やオレンジを景品にすることも十分可能である。



景品額の上限1万円を撤廃するなり、5万円に引き上げればもっと高額な景品が提供できる、と考えた。



結果からするとこの構想は流れてしまう。



一筋縄ではいかないのがパチンコ業界である。仮に貿易赤字解消のために、景品市場へ参入した、としても結果的には海外スロットメーカー同様に、撤退していた可能性が極めて高い。



時代は等価・高価交換営業にシフトしていく中で、高額商品はほとんど売れなくなり、景品商社も随分と淘汰された。



そもそもパチンコユーザーは換金目的でパチンコをしているわけで、一般景品には興味を示さないことをどこまで理解していたかだ。



たとえ、魅力的な景品があっても、一般景品と交換することでパチンコ資金の循環が断たれてしまう。



宮沢りえの「サンタフェ」が発売されたとき、発売初日に景品交換できるホールにファンが殺到したことがあった。



玉を買ってパチンコもしないで、そのまま計数機に流して、写真集を手に入れていたが、こういう景品がそうそう出てくるものではない。



顧客の景品ニーズを改めて研究して再トライしますか?



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イタリアにほれ込んだ社長

先日、業界団体の元・会長が急逝した。心不全だった。



その人との思い出でも話そう。



16年前、CI導入でホール名でもあった社名からイタリア語の社名に変更した。その理由を次のように語っている。



「世の中の人に安らぎの場を提供するために、遊びの先進国であるイタリアを参考にした。イタリアの遊びの文化をわが社に取り入れ、色々なことに挑戦していきたい」



社名はイタリア語で「試み」という意味が込められていた。



フラッグシップ店のプロジェクトには足掛け3年かかった。



ホールも徹底的にイタリアにこだわった。イタリアの中でパチンコをしているかのように。



参考にしたのがトスカーナ地方だった。自然に恵まれ、古い町並みが残る金融都市で、ルネッサンス期の天才芸術家レオナルド・ダ・ビンチを輩出した。



トスカーナ地方はイタリア人の心のふるさとであり、イタリア人が住んでみたい街で、それを日本で再現した。



建物は見本市会場のようになっている。これは次から次へと新しいことを提案するためだ。



内装、外装、外壁の建築素材は石や漆喰に至るまで、すべてイタリアのものを使った。ドアノブ一つとってもすべてイタリア製だ。



建物内はフロアごとに過去、現在、未来を表した。



1階は過去。壁はエイジング工法で何層も壁を塗り、600年前のイタリア・ルネッサンス時代を再現した。



イタリア人がパチンコのノウハウを掴んで、イタリア人がパチンコ店を設計したらこうなる、という仮定の元でこだわり抜いた。



入場料が取れるようなパチンコのテーマパークを目指した。



「テーマパークというと大型の施設を連想するが、小さくてもテーマパークと捉え目標、テーマを構築してお客様に提供していく。常に楽しいことを考え、それを提供してお客様にも楽しんでいただく」



14年経っても外観は当時のまま。イタリア人シェフが運営するイタリアレストランも健在だ。



ローコスト建築がすっかり定着してしまったが、当時のパチンコ業界にはそんなことがチャレンジができる業界であった。



新しいことにチャレンジできる環境の中で、社員の方もワクワクしながら仕事をしたことだろう。



改めてご冥福をお祈りします。



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