パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

競合店からハニートラップをかけられ店を追われた店長

今から20年以上も前の話だ。

四国のとある県で飛ぶ鳥を落とす勢いで、競合店を圧倒するホールが突如出現した。当時、店舗の平均台数が300台の時代に、その店舗は600台に規模を誇った。四国などの田舎町となると特にムラ意識が強く、周りと違うことをするのを嫌う傾向が強い。

このホールの出現によって田舎町の既存店は客を奪われることなり、600台の店舗が目の上のたんこぶ状態になってきた。

600台のホールは集客のためにありとあらゆる方法を使った。ま、当時としては業界スタンダードだったモーニングや裏モノも活用した。それはお客の懐を痛めつけることが目的ではなく、あくまでもお客を喜ばせるためのものだった。

このホールの店長の給料はどんどん上がっていった。カネは飲み代などに消えていた。

競合店がこの600台のホールを潰すために考えた行動が、店長を潰すことだった。店長さえいなくなれば、店は潰れる、と。

競合店のオーナーの一人はヤクザとの付き合いもあった。店長潰しをヤクザに依頼した。方法はヤクザに任せた。

600台の店の店長は行きつけの飲み屋があった。そこの10代の女の子といい仲になった。やがてプライベートでデートするようになり、大人の関係になるまで時間はかからなかった。

ある日、店長の下に若い男が尋ねてきた。

「未成年に手をつけて、この落とし前はどうつける気だ」と凄んだ。

男はベッドで会話した録音テープと、望遠レンズで撮影した2人の写真を元に、ゆすりをかけてきた。

この会話の中で、女に勧められて覚せい剤に手を出したくだりまで録音されていた。女に手を出しただけでなく、店長は覚せい剤や大麻にまで手を染めていた。

女性との肉体関係は民事だが、覚せい剤となると刑事事件になる。

男は「警察に密告する」とさらに脅しをかけてきた。

店長は窮地に立たされた。

「どうすればいい?」と男に聞くとこう条件を出してきた。

「慰謝料は500万円。店長を辞めたら今回のことは水に流す」

高給取りだったので500万円はすぐに用立てられる金額だった。店長職はどこのホールへ行ってもなれる自信があったので、600台のホールに未練はなかった。

カセットテープと写真のネガを渡すことを条件に、店長は男の要求を呑んだ。

後で分かったことだが、これはヤクザが仕込んだハニートラップだった。店長が行きつけの店を探し出し、その店で店長が恋心を抱いている女を探り当て、女にカネを渡して罠を仕掛けたものだった。

店の新入りのホステスではなく、本人が恋心を抱いていた女性だったので、店長もまったくノーガードだった。

ホールを辞めた店長は、狭い四国ではこれ以上は、働かれないので大阪へ出てきた。大阪では下っ端社員から働いたが、すぐに頭角を現し、オーナーから店長になってくれ、と言われるまでに時間はかからなかったが、断り続け、居辛くなると店を転転とする生活を送っていた。

四国の一件で店長は懲り懲り。さほど責任がない主任で30~40万円の給料でやるのが一番楽なことが分かったからだった。



人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

※コメントには必ずハンドルネームを入れてください。匿名は承認しません。コメントがエントリーになる場合もあります。

一般景品市場に食指を動かした商務省

かつて、海外のスロットメーカーが日本市場に参入できた背景には、“外圧”があった、といわれている。



当時は30兆円産業と喧伝されていた時代で、誰もがパチンコ業界参入に食指を動かした。



“外圧”を使ってまで苦労して参入した外資メーカーも吸収合併されたり、撤退したりで初期の目的を達成することはできなかったが、パチンコ業界を貿易摩擦解消の場にしようとした動きがあった。



日経新聞のある記事が某国商務省の関係者の目に止まった。



それはパチンコ店で景品のマウンテンバイクが飛ぶように売れている、という小さなカコミ記事だった。



当時の業界の市場規模は30兆円。そのうち95~97%が換金としても景品市場規模は決して侮れない。



「レジャー白書2007」によると市場規模27兆5000億円の時代で一般景品市場規模は8000億円、と推計されてる。



貿易赤字の解消に目をつけたのが一般景品市場だった。



一時期1万円のタラバガニが飛ぶように売れた時代もあった。牛肉やオレンジを景品にすることも十分可能である。



景品額の上限1万円を撤廃するなり、5万円に引き上げればもっと高額な景品が提供できる、と考えた。



結果からするとこの構想は流れてしまう。



一筋縄ではいかないのがパチンコ業界である。仮に貿易赤字解消のために、景品市場へ参入した、としても結果的には海外スロットメーカー同様に、撤退していた可能性が極めて高い。



時代は等価・高価交換営業にシフトしていく中で、高額商品はほとんど売れなくなり、景品商社も随分と淘汰された。



そもそもパチンコユーザーは換金目的でパチンコをしているわけで、一般景品には興味を示さないことをどこまで理解していたかだ。



たとえ、魅力的な景品があっても、一般景品と交換することでパチンコ資金の循環が断たれてしまう。



宮沢りえの「サンタフェ」が発売されたとき、発売初日に景品交換できるホールにファンが殺到したことがあった。



玉を買ってパチンコもしないで、そのまま計数機に流して、写真集を手に入れていたが、こういう景品がそうそう出てくるものではない。



顧客の景品ニーズを改めて研究して再トライしますか?



人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

イタリアにほれ込んだ社長

先日、業界団体の元・会長が急逝した。心不全だった。



その人との思い出でも話そう。



16年前、CI導入でホール名でもあった社名からイタリア語の社名に変更した。その理由を次のように語っている。



「世の中の人に安らぎの場を提供するために、遊びの先進国であるイタリアを参考にした。イタリアの遊びの文化をわが社に取り入れ、色々なことに挑戦していきたい」



社名はイタリア語で「試み」という意味が込められていた。



フラッグシップ店のプロジェクトには足掛け3年かかった。



ホールも徹底的にイタリアにこだわった。イタリアの中でパチンコをしているかのように。



参考にしたのがトスカーナ地方だった。自然に恵まれ、古い町並みが残る金融都市で、ルネッサンス期の天才芸術家レオナルド・ダ・ビンチを輩出した。



トスカーナ地方はイタリア人の心のふるさとであり、イタリア人が住んでみたい街で、それを日本で再現した。



建物は見本市会場のようになっている。これは次から次へと新しいことを提案するためだ。



内装、外装、外壁の建築素材は石や漆喰に至るまで、すべてイタリアのものを使った。ドアノブ一つとってもすべてイタリア製だ。



建物内はフロアごとに過去、現在、未来を表した。



1階は過去。壁はエイジング工法で何層も壁を塗り、600年前のイタリア・ルネッサンス時代を再現した。



イタリア人がパチンコのノウハウを掴んで、イタリア人がパチンコ店を設計したらこうなる、という仮定の元でこだわり抜いた。



入場料が取れるようなパチンコのテーマパークを目指した。



「テーマパークというと大型の施設を連想するが、小さくてもテーマパークと捉え目標、テーマを構築してお客様に提供していく。常に楽しいことを考え、それを提供してお客様にも楽しんでいただく」



14年経っても外観は当時のまま。イタリア人シェフが運営するイタリアレストランも健在だ。



ローコスト建築がすっかり定着してしまったが、当時のパチンコ業界にはそんなことがチャレンジができる業界であった。



新しいことにチャレンジできる環境の中で、社員の方もワクワクしながら仕事をしたことだろう。



改めてご冥福をお祈りします。



人気ブログランキングへあなたのポチっ♪が業界を変える

16年前の予言

パチンコ業界に参入するきっかけは、ホール企業が飲食業界に参入するために相談にきたことだった。



この出会いがあって未開拓だったホールのコンサルを始めることになる。



ホールの顧問先はまだ10社ほどの時代の話し。



三菱銀行が東京の大手ホールのファイナンスを出し渋っていることを受けて「まず、きれいな会社を作りメインバンクを作ること」とセミナーの話しが始まった。



まだ20世紀。



迫りくる21世紀を「競争の時代は終わり、共存共栄の時代になる。1人勝ちの時代は終わる」と断言した。



その心は21世紀は「天地自然の理の経営」になるから、と。



元々は松下幸之助の名言で「経営というものは、天地自然の理にしたがい、世間大衆の声を聞き、社内の衆知を集めて、なすべきことを行なっていけば、必ず成功するもの」から来ている。



その法則に従えば、安く仕入れて高く売ることは誰にでもできるが、21世紀は「高く買って安く売る時代」とも。



これこそが天地自然の理の経営の真骨頂なのだろうが、予定より大幅に遅れているようだ。



たまにはこうして、昔いっていたことがその通りになっているか、検証してみることも必要だ。



人気ブログランキングへ



女性店長は今

パチンコ業界ではアルバイトから正社員になるケースは珍しくないが、女性のアルバイトで店長になった人はそうそういない。



パチンコ業界でアルバイトする理由の一つに、時給の高さが挙げられる。彼女もそんな一人だった。ファーストフードの時給が600円に対して、パチンコ店は1000円だった。



時給が高い反面、重たい玉箱の上げ下げに腰を痛めてリタイアする人が多い中、幸い彼女は体が頑丈だったので、体力的に問題はなかった。



しかし、1年半勤めたところでホールが倒産した。



次に面接に行ったのが今のホールだった。仕事にも慣れカウンター班長に昇進した。そのころ「社員にならないか」と声がかかった。気がつけば4年経っていた。



ある日、店の親睦会が開かれた。その席で酒も入った勢いで専務に「パチンコ業界の会社では、女性は出世できないのですか?」と直談判した。



専務はこの時の申し出を真剣に考えてくれていた。



数年後、新店を女性店長と女性スタッフだけで運営する、という大冒険に出た。



店長や女性スタッフには機械や客とのトラブルの対応経験がなかった。これはぶっつけ本番だったが、いざとなれば、他店のベテラン社員がサポートする体制を敷いていた。



予想通りというか、女性スタッフばかりなので酔っ払いやチンピラが絡んでくることは一度や二度ではなかった。



「この店は客をバカにしているのか!小娘ばっかりで。店長を出せ!」



「私が店長ですが」と対応するとますます激昂した。



「本当に客をバカにしている。貴様が店長なわけがない!」



ここでひるんで逃げると「アルバイトの女の子が付いてこない」と度胸をすえ、チンピラと対峙した。



女性スタッフばかりなのでゴト師にも狙われた。ゴト師を発見した時、追っかけて捕まえたこともあった。



男性のほうが仕事はテキパキと早いが「笑顔と心配りで女性らしい気遣いのあるサービス」を心がけた。



ホールの雰囲気がよくなるにつれて、女性客が増えた。



島からわざわざ船に乗ってやってくる老夫婦もいたが、視力障害の男性客も顧客になった一人。目が見えないため、スタッフが各台のデータを教え、台を選んだ。最初の玉の打ち出しもスタッフがハンドルに手を添え、スタートに入りやすい位置に固定した。大当たりを聴覚で楽しんだ。



トイレにはスタッフが手を引いて案内し、外で待っていた。



29店舗中、稼働率では最高が3位だった。



今、彼女はどうしているのか。稼働率でナンバー1を取ったのか気になるところだ。



人気ブログランキングへ