パチンコ日報

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イタリアにほれ込んだ社長

先日、業界団体の元・会長が急逝した。心不全だった。



その人との思い出でも話そう。



16年前、CI導入でホール名でもあった社名からイタリア語の社名に変更した。その理由を次のように語っている。



「世の中の人に安らぎの場を提供するために、遊びの先進国であるイタリアを参考にした。イタリアの遊びの文化をわが社に取り入れ、色々なことに挑戦していきたい」



社名はイタリア語で「試み」という意味が込められていた。



フラッグシップ店のプロジェクトには足掛け3年かかった。



ホールも徹底的にイタリアにこだわった。イタリアの中でパチンコをしているかのように。



参考にしたのがトスカーナ地方だった。自然に恵まれ、古い町並みが残る金融都市で、ルネッサンス期の天才芸術家レオナルド・ダ・ビンチを輩出した。



トスカーナ地方はイタリア人の心のふるさとであり、イタリア人が住んでみたい街で、それを日本で再現した。



建物は見本市会場のようになっている。これは次から次へと新しいことを提案するためだ。



内装、外装、外壁の建築素材は石や漆喰に至るまで、すべてイタリアのものを使った。ドアノブ一つとってもすべてイタリア製だ。



建物内はフロアごとに過去、現在、未来を表した。



1階は過去。壁はエイジング工法で何層も壁を塗り、600年前のイタリア・ルネッサンス時代を再現した。



イタリア人がパチンコのノウハウを掴んで、イタリア人がパチンコ店を設計したらこうなる、という仮定の元でこだわり抜いた。



入場料が取れるようなパチンコのテーマパークを目指した。



「テーマパークというと大型の施設を連想するが、小さくてもテーマパークと捉え目標、テーマを構築してお客様に提供していく。常に楽しいことを考え、それを提供してお客様にも楽しんでいただく」



14年経っても外観は当時のまま。イタリア人シェフが運営するイタリアレストランも健在だ。



ローコスト建築がすっかり定着してしまったが、当時のパチンコ業界にはそんなことがチャレンジができる業界であった。



新しいことにチャレンジできる環境の中で、社員の方もワクワクしながら仕事をしたことだろう。



改めてご冥福をお祈りします。



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