昭和17年生まれの68歳は、ゴルフを「天職」とし、生涯現役を標榜している。そのために最重要視しているのが体力づくり。1日も欠かすことのないトレーニングのおかげで、トレーナーから「45歳の体力」とのお墨付きももらっている。
心、技、体ということばがあるが、青木プロの優先順位は体、技、心。それはスポーツをやるうえで、体力がないとできないからだ。
今でも試合の3時間前から体の目を覚ますためにストレッチを始める。
昭和39年にプロになった青木選手は、勝つまでに随分時間がかかった。プロになったことで一人前になった、と履き違えていたからだ。
昭和33年、中学を卒業した当時、中村寅吉プロの優勝賞金が30万円だったことに魅せられて、金を稼ぐためにプロゴルファーの道を選択した。ところが、当時支給された技能手当ての1万5000円に満足していた。
白井義男が世界チャンピオンになった陰には、日頃の血を吐くようなトレーニングがあった。
勝つためにはもっともっとトレーニングが必要だと感じ、トレーニングを最初に取り入れたプロゴルファーでもあった。
トレーニングすることで勝つ喜びを知る。この時以来、自分の体は自分で守る、という信念で今日までやってきた。
1勝するまでに時間はかかったが、2勝目からは早かった。
「自分がやって失敗することは、他人ならもっと失敗するだろう。俺より上手いものはいない、と今でも思っている」
青木プロにはマイナス思考がない。すべてプラス思考に切り替える。
1980年、全米オープンで繰り広げられたジャック・ニクラウスとの死闘ではこう振り返る。
「周りはジャックの応援ばかり。英語が分からないから、ゴルフに没頭できた。外野の声が耳に入らなかった。遼のように英語が分かると気が散る。ジャックへの声援も自分への応援だと思うようにした。何でもプラス思考にしないと鬱陶しい」
パチンコ業界もご多分に漏れず不況の影響を受けているが、仕事を諦めかけている業界人にはこんなアドバイスも。
「30~40年やってきた仕事を辞めるのは簡単なことだが、新しい仕事を始めるのは大変なこと。私は迷ったらゴルフの練習をする。それぐらいゴルフが好き」
「ゴルフだけがわが人生」と公言する青木プロは、ゴルフを作ってくれた神様に対して、練習の時でもグリーンの方向に向かって「ありがとうございます」と心の中で祈る。
「常に上しか見ていない。欲張りの気持ちや競争、挑戦、好奇心が薄れた時がプロを辞める時」
まず、足腰を鍛える。体力があれば気力も意欲も沸いてくる。そしてプラス思考で物事を捉える。そうすれば、大きな壁にぶち当たっても少々のことではへこたれない。
そんなメッセージだった。
