パチンコ日報

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パチンコ店の社会的存在の意味 下編

当たり前のことは、この際は省こう。



そう、パチンコをレジャー産業として娯楽をお客様の届けする。あるいは楽しく遊んで頂いてストレス解消…などという類のことは。



ホールに来店するお客様の幸せ度は、平均より高いのか低いのか?



もちろん、平均化はできない。



駐車場経営などの不労所得が多いお客様もいれば、現実回避的な理由で来店されるお客様も少なくない。



それらを含めて、お客様のストレスや悲しいことなどを、ひと時でも忘れさせてくれる場所がパチンコ店だという人も大勢いる。



パチンコ遊技中は、孤独になれることが大切である。

孤独になれるから、そして何も考えなくていいからパチンコをする人も大勢いる。



そうした時間をお客様は遊技代を払って得ている。



つまり、楽しく遊んで頂く空間を提供することは、パチンコ店では当たり前の使命なのだ。



二昔前は、店内でくわえ煙草のホール従業員が当たり前だった。



時代は大きく変化した。



お客様から協力を得ての寄付行為、これも当たり前の時代になった。

これから先、今まで以上の社会的存在を考えなければならない時代が到来している。



今、地元地域で必要とされているモノは何か? 



パチンコ店の重要な存在意義は、ここに隠されている。



企業だから社会的存在の意味を売り上げや集客につなげることも大切だ。



先日の自転車の空気入れの話をしよう。



このホールがどういう考えで設置したかは分からない。高が空気入れではあるが、地元にとっては大きな意味を持つと同時に、このホールの潜在的な存在意識を地元の皆さんに植え付けていることは確かだ。



このホールの空気入れを小学生の頃から使っていた子供は、18歳になれば自然に来店して遊技するようになる。



この「自然」に生活の一部に入り込むことがポイントだ。



街中の自転車屋では空気を入れるのに1回50円のところもある。でも、あのパチンコ店へ行けば無料で入れられる。しかも電動ならば、高齢者には本当にありがたいと思う。



ホールに駐車場設備は欠かせない。

車客でも自転車客でも同じ客である。使うお金も変らない。でも、それを認識しているホール関係者は少ない。



だから、駐輪場に屋根が付いているだけでも、そのホールの姿勢が伝わる。自転車客も大事にしてくれている、と。



話を戻そう。



自転車の空気入れ1台でも、その地域では社会的存在価値があるのだ。そして、それがホールの存在を地域の人たちに認識されてくる。



ある意味、大きな宣伝であり集客効果があるわけだ。



「無料の自転車空気入れあります!朝9時から23時まで利用できます」

こんな内容のチラシを地域にまいても、苦情は出ない。



パチンコ店の存在を示すチラシでも、やり方によっては周辺地域の利益になる。



これをアナログ式サブミナル効果と呼んでもいいだろう。



空気入れのような些細なサービスだが、これらの小さなサービスの種類を増やし、積み重ねることが地域住民の理解を得られることであり、存在の意味が出る。



同時に従業員のモチベーションアップにつながる。



空気入れを例に出したが、これ以外にも沢山同じ効果を持つサービスがある(あるけれどヒミツ)。



法令化された一般住宅の火災警報装置設置。ところが警報器を備えつけている家庭は少ない。



ならば、パチンコ店で格安に警報器を販売する。



「あのパチンコ屋に行けば、格安で購入出来るよ」と周辺地域で噂になれば、様々効果が得られる。



これから本格化する地上デジタル放送の設備関連もそのチャンスがある。高齢者の多いパチンコ客では、その機会があれば利用する。



「あのパチンコ店で相談すれば、アンテナ工事店の相談も全てできる」とやるのだ。



ラスベガスのカジノホストからの話を先日書いたが、集客の極意がこれらに隠されている。



当然、新台入れ替えや地道な釘調整・割調整は必要だが、いま一度、将来のパチンコ店の在り方を社会的存在意義から見つめ直して欲しい。



そしてこの寄稿の内容に隠されている内容を感じて欲しい。







追記



元店長からのお願いで、元店長というハンドルネームは一般すぎるのと、元店長の名前を騙り元店長になりすましている偽者も出てトラブルにもなっているようです。



ホンモノの元店長が投稿しているのはこのブログのみで、パチンコ業界関連では他に投稿しておりません。



それで分かりやすくするために今日から「PG元店長」と改めます。

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コメント[ コメント記入欄を表示 ]

  1. この下らぬ言い分は何だ?
    「あのパチンコ屋に行けば格安に警報器を販売する。」というのは、パチンコ屋の本業であるパチンコの存在意義ではない。
    別に八百屋でやったとしても、かまわないわけだ。

    パチンコは、誰が何と言おうと博打に他ならない。
    たとえ景品交換という隠れ蓑があったにしても、だ。
    パチンコが生み出すギャンブル依存症患者は、コロナ禍の状況においてさえ、自粛要請に従わぬパチンコ店を探し過密状態でギャンブルに供する始末。
    パチンコ屋は人が来るからという言い訳のもとに、更に意地になって営業をする。

    日本では、賭博は公営ギャンブル以外は認められていない。
    今こそパチンコ店に対して規制を行うべきではないかと思う。
    とっぴん  »このコメントに返信
  2. ピンバック: とっぴん

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