私は研修中、あまりあれこれと事細かに教えることはしません。確かに初期の頃はできるだけ成長して帰って欲しいという一念から手取り足取り口酸っぱくして釘の知識や技術を教えていました。しかしそれでは本人の内側に残るものが少ないと感じたのです。
こちらから何でも教えてしまうと本人は受け取りの状態になります。自分がその場に立ちながら知識や技術の基本的な事柄が入ってくるのでそれはある意味楽な状態でもあります。
「この300本を越える釘を60分以内に左右直角、上下角3度にしてください」
とだけ伝えると、余程の経験者でない限りほとんどが一度フリーズします。
普段会社から「あれやれこれやれ」「これはダメ」「これはいい」という具合に仕事を受け取る状態で日々を過ごす人たちは自らが主体となり、何かをするということに慣れていません。
しかし研修においては時間が決まっています。彼らは恐る恐るぎこちない様子で釘を叩き始めます。ハンマーの持ち方、釘の頭のどの部分を叩いたら良いのか、など正解というものがわからない状況でことを進めることに非常に不安になるのです。
なぜこのような手法を使うのか。理由は三つあります。
一つは、「自分のことは自分で考えてやる」という姿勢を身につけてもらう為。一つは「答えは自分で見つけるもの」ということを知ってもらう為。最後に「受け取るな、取りに行け」という言葉の意味を知ってもらう為です。
自らがすすんで取りに行けば結果に関係なく自分の内側に何かが残るものです。その何かは経験した後に本人があることを決定するときに必ず役に立ちます。
反対に受け取ったものはその意味や価値が残りづらくなります。そして受け取ったものは他人や社会に自分の人生を任せてしまう結果につながりやすいものです。だから私は自分の人生や営みは自らが取りにいかなければならないということを、厚かましく暑苦しく伝え続けるのです。
私は釘のコンサルタントではありません。釘を通して若い人たちに人生とは何かをできる範囲内で伝え続けているのです。
言葉は嘘をつきますが技術は嘘をつきません。私が怪しい言葉で良いことを発信してもなかなかにその意味が伝わらないものです。しかしそこに技術が介在することによって、綺麗事に聞こえた言葉が突如として本人たちの内側に残ることがあるのです。
今社員たちは業界の未来を憂うことより、自分の能力を向上させることに集中するべきです。チャレンジだとか挑戦だとか聞こえの良い言葉ではなく、自分が欲したものを自分で取りに行くという行動がやがて大きな変化をもたらしてくれるでしょう。

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