自社の社員たちに釘を教えて欲しいと言われた。正直、驚いた。研修最終日その社長から言われた。独立して山田塾を立ち上げたらどうか、と。独立なんて考えたこともなかったが、そう言われて断る理由もないのでやってみることにした。幸なのか不幸なのか、そんなことはわからない。ただ流れに乗っかってみりゃいいや、くらいの感じで始めた。
山田塾の旗揚げをじいさんにも伝えた。手を叩いて喜んでくれた。あいつはお前さんの仕事ができすぎるところにやきもち焼いてお前さんを蔑ろにしたんじゃ。そう言って慰めてくれたのは結構嬉しかった。しかし商売は甘くない。富山の仕事から二カ月ともたずに金が底をついた。新幹線代がなくて街金で金を借りて大阪まで営業に行った。
ものの15分で帰された。価格を聞いてきたので五日で二十万だと言ったらそこの若い部長に鼻で笑われた。
「メッチャぼるやん。そんなら俺がやるわ」
悔しくて帰りの新幹線の中で泣けた。認めてもらえなかった悔しさより、自分の非力さが情けなくて泣けた。
三年をどうやって過ごしたのか思い出せない。苦しかったのは事実だ。だが三年は続けることができた。そしてある日じいさんから電話があった。
「岡山のホールに話つけといたから営業部長に電話してみい」
継続は力なりとか綺麗事を言う人たちがいるが俺はそんな綺麗事で三年やってきたわけじゃない。ただ生きようと必死にもがいていた。
不思議なものでその話が決まってから一気に申し込みが増えた。なぜなのかはいまだに本人はわかっていない。ある寺の住職が言った。悪いことは自分のせい。良いことは神様のお陰様。それくらいに思っていれば人生大きな間違いはない、と。
ある日じいさんがケーキを持って事務所へ来てくれた。
「ようがんばったのお。岡山の方もかなり評判がええぞ。お前さんの詐欺師的な口が功を奏したのかも知れんのお。え?あははは」
「藤本さん、俺経営理念作ったんですよ。パチンコ百年を応援するって。どうすか?」
「お前、まさかカッコつけでそんなもん作ったわけじゃなかろうな?」
「もちろんです。あの時長野のホールで言われた藤本さんの言葉。あれがきっかけですよ」
「そうかい。そりゃ良かった。お前さんは考えすぎるところがあるがそれもええじゃろう」
その日の晩遅くまで俺はじいさんと二人でゲージのあり方を興奮気味に論じ合った。
俺の事務所でじいさんと二人きり。嬉しかった。山田塾にフォローの風が吹き始めた。
二年ほど経ったある日、電話がなる。じいさんからだ。
「あ、お疲れさまです。元気していますか、藤本さん」
じいさんとはここ半年ほど連絡ととっていなかった。だから嬉しかった。
「すみません。初めまして。私、藤本の家内です」
俺はなんとなく違和感を覚えた。
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