パチンコ日報

ニュースにならないニュースの宝庫 

あり方を明確にする

日本社会では玉虫色の発言が多い。

「善処します」「検討します」「とりあえず」「いつか食事でも」「やろうと思います」等々
日本語はその文言の裏を探らないとビジネスシーンでは大事故に発展することもある。

ひと昔、ふた昔前にファジーと言う言葉が一部で流行った。ぼやける、曖昧と言う意味だ。
オブラートで包んだ表現での意思表示は周囲からの批判や攻撃を避けるためのひとつの手段でもある。だからそのような言葉を比較的多くの日本人が使用する。自己主張の強い人間は嫌われがちだと言う風土が日本にはあるからだ。

今のパチンコはもっと強い自己主張をするべきだと思う。商いにおける思想を明確にするという意味合いにおいても、そうするべきではないだろうか。お年寄りやあまりお金を使わず時間消費型のお客さんをターゲットにするのか、パチンコをギャンブルとして楽しむお客さんをターゲットにするのかをはっきりした方が良いと私は思う。そうでないと虻蜂取らずで、この先の存亡が危ぶまれる。いや、既に危うい状況だ。そもそも企業が顧客のセグメントを明確にせず、成功する例は稀なのだが、パチンコにおいては今までそれが通ってきた。

しかし今はもう環境が違うのである。

私は六十を過ぎて自らを変化させることが好ましいと思えるようになった。だが今迄の環境から抜け出すことを避けようとしている。できれば慣れ親しんだ環境の中で生きていたいという願望が強かった。それはなぜか?楽だからだ。そして認めたくないが新しいステップを踏むことに対する恐怖心がそうさせるからだ。

失敗は誰でも嫌だ。そして傷つきたくない。当然の感情だと思う。しかし現状維持はないのだから何らかのステップを踏むという決断をいつかはしなくてはならない。完璧を求めるあまり手が出せなくなる。足が動かない。私のような一個人でもそんな具合であるのに、ましてや企業の決断となると事が大き過ぎて思い切った事ができなくなるのはよく理解できる。

しかし思いと現実との乖離が激しすぎる。国民の娯楽的なかつての人情溢れるパチンコの時代は終わったのである。それでも昔ながらの営業を続けるのも一つの選択肢であるし、ギャンブルに特化して営業するのも当然有り得る。やり方はたくさんある。しかしあり方が明確でなければ何をやっても結果が出ないのである。つまり生き残ることができないと言う悲しい結果を待つのみだ。



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パチンコは何色?

パチンコは娯楽だ。いやギャンブルだ。パチンコは世の中に不必要なものだ。必要悪だ。
さまざまな批判を受けながらも未だ日本に存在するパチンコとはとても不思議なものだ。

全遊協は1966年に通産省から正式に認可を受けた。遡ること36年つまり1930年に風俗営業第一号店が名古屋で認可された。とWikipediaには書いてあった。
私は、パチンコはグレーゾーンの中で生きてきたのだと思う。ここ30年ほどはグレーから脱却を図りホワイトゾーンへなんとかイメージを変えようとさまざまな努力をしてこられた。しかしそれは今の段階で有効的な結果を残してはいない。むしろイメージはダウンする傾向にある。と言えば、皆さんはそうだそうだと相槌を打たれることでしょう。

それはパチンコに対する評価基準をどこに置くかで変わってくるのではないでしょうか。批判の多くは善、もしくは正しいもの、道徳的なものを基準としているわけですから当然パチンコに対する評価は良いものであるはずがありません。そこでパチンコはグレーでもホワイトでもなく、ブラックだと(イメージの話です)評価の基準を変更するとどうなるのでしょうか。

そもそも賭け事はどこの国にもあり、賭け事は余程強い法律で縛ったとしても隠れて存在するものではないでしょうか。そしてその事実をほとんどの大人たちは知っています。知っていても賭け事をしない人たちはたくさんいます。その人たちは賭け事の是非を口にすることはほとんどありません。なぜなら興味がないし、そもそもその賭け事の内容をよく知らないからです。

そこでパチンコです。私は、パチンコはとどのつまり賭け事だと思っています。だからパチンコは世の中の主流になることはなく、国が援助しなければならない産業にはなり得ないのです。つまり市場(国民)がパチンコに興味を持てば人気が高まるし、市場がそっぽを向けば衰退の一途を辿る。ただそれだけの話ではないでしょうか。

パチンコは賭け事だ。自らがそう言って事業を継続するならば開かれる道もあると思うのです。随分前に身の程を弁え、分際を知ることが大切だと私は記事を書きました。周囲の評価や批判を聞くことも時には大切です。

しかしそれよりもパチンコ産業そのものがどこに位置しているのかを自らが認め公言しなくてはならないような気がするのです。ホワイトなのか、グレーなのか、それともブラックなのかを、です。

現実に射幸性の高い機械を多数設置して入れ替えを頻繁に行うお店にはお客さんが多く集まる傾向にあります。反対に低玉や比較的穏やかな機種を設置しているお店は稼働が低いのです。それこそが自らの立場を立証していることになるのではないでしょうか。



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若者の主張と私の夢想

ここパチンコ日報では業界の未来について比較的ネガティブなコメントが多いですね。私自身も明るい材料を見つけるのはなかなか難しいと考えます。しかしコメントをしない読者の方も大勢います。そんな中で、私の記事を読んでくれている知人や塾生たちに業界の将来について聞いてみることがあります。彼らも業界が衰退することはあっても活性する見込みは極めて低いと考えているようでした。

ある日少し意地悪かもしれませんが、明るい未来が見えない業界や職場で働いていて自分の人生が不安にならないのかと塾生たちに質問をしてみたのです。大体は口籠もってしまい、明確な返答はありません。ところがある若者がこんな発言をしたのです。

「今の僕にはあまり関係ないです(業界の未来が)。目の前にある仕事をやり、また明日もやるべきことをやるだけです。だいいち、僕はパチンコの仕事が好きですから」と言う彼はまだ25歳。

私は俄に緊張しました。パチンコに得体の知れない夢や理想みたいなものを抱いていた私は返す言葉がなかったのです。

しかし彼は自分の意見をただ述べただけで熱情に溢れるような様子ではありませんでした。表情に変化はなく、淡々としていました。そして言っていることは理路整然としているのです。

「どこから、いやいつからそんなふうに考えるようになったの?」
私は聞いてみました。

「いつかは自分でもわかりません。ただ未来とかってリアルじゃないと思うんですよ。自分はまだ25歳だし、世の中のことなんてほとんど知らないし、でも知らなくても自分が好きなことをやっていて生活していけるからそれでいいのかなって思っています」

何かの本にこんなことが書いてありました。

「大人はどこかで若者や子供を馬鹿にしているのではなかろうか。なぜ一方的に馬鹿にするのか。実は若者の大いなる可能性に恐れを抱いているのではないだろうか」不意にその言葉が思い出され、それは自分のことではないかと思ったのです。

未来がリアルではないと言っていた若者は今をリアルに捉えています。それもややこしい理屈や理論ではなく直感として今を的確に捉えているのです。それを「今の若い奴は」などと言ってなじる大人と同様に、私はパチンコの今と昔を混同して捉えていたことを認めざるをえませんでした。



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善と悪 好きと嫌い

「会社を作るのは自分の勝手だが畳むのはそうはいかない。自分の会社をあてにしてくださる方が一人でも、一社でもある限りそんなことは許されないのだ」

誰が言ったのかそれとも本で読み知ったのかは忘れましたが、この言葉には正理があります。しかし商売が繁盛せず下降線を辿っているにもかかわらず、商いを続ける行為は現実的にかなり厳しい状況に立たされるわけです。

それでも続けることが商いをする者の使命であると説いているわけですから、仕事に対して余程の愛情や熱情がない限りそうはいかないのでしょう。

私が知っている企業の中でも閉店、譲渡などの手法を駆使し新たな出発を試みるオーナーさんがいらっしゃいます。手短なところで国からの補助金をあてにして福祉関係の経営に走る方もいらっしゃいます。

私はそれを悪く言うつもりは全くありません。それは人様が決める人様の人生ですから私に何かを言う権利などさらさらないのです。ただその行為が好きか嫌いかと問われたら、私は嫌いです。好き嫌いに理屈はありません。ただそれだけのことです。

さて、パチンコの善と悪を意見される方々がいます。それぞれに言い分があり、もっともな理論がそこに付随してきます。

ただ、仮に心が100%の真実だとするならば言葉は嘘をつきます。さらに嘘が多いのが文字です。かくいう私もこうして記事を書いているわけですが、自分の正直な思いを100%文字に表しているのかというとそうではありません。とどのつまり私は自分の心に対して少なからず嘘をついているのです。

ことの善悪を述べるとき自分の主張を妥当なものにするために多少の嘘をつきながら相手を論破しようとします。その意見に対してさらに嘘が混じった反論が返ってくる。これを永遠に繰り返すわけです。

だから私はことの善悪に対して言葉を入れないのです。反面、自分の心や思いに比較的嘘のないものは感情です。単純な感情中に好き嫌いがあります。先ほど書きました通り、パチンコ経営を途中で投げ出し、その店のファンがいるにも関わらず店を閉めてしまうオーナーの善悪を問うことはしません。

ただし好きか嫌いかの感情は誰しもが持ち合わせているのです。だから私は嫌いだと申し上げました。

日報では比較的ストレートな表現が多いです。汚い表現、低俗な物言いを私は嫌います。

しかし、以前にも私の記事に対するコメントの中で「私は純粋にパチンコが嫌いなんだ!」という表現は真実そのものだと思うのです。だから時折目にすることができる人様の真実が掲げられているパチンコ日報が好きなのです。加えて私はパチンコが好きです。

皆さんはパチンコが好きですか?それとも嫌いですか?



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なまくら坊主その2

私は今までの人生で幾度かドツボにハマったことがありました。その時にはその前兆として、心ばかりか態度まで傲慢だった。そんなことをお坊さんの話を聞いて思ったものです。

そんな時期が私にもあったことを件のお坊さんに打ち明けると、それではどうしたら上に向かうことができるのかをお話しましょう。ということで再度お伺いしたのです。

一言で言えば上に向かう人には、必ず自分の質より上の方からのお引き立てがあるものです。一種の前兆みたいなものですね。これは不思議なもので成功されて本分を全うされている方にはわかるのでしょうね。

この人が謙虚なのか、傲慢なのかが。

謙虚という心の状態は人の話を聞ける状態のことをいいます。つまり学ぶ準備が整っているということですね。そういう人には成功された方は色々と教えたくなるそうです。なぜならその方ご自身も苦労されていた時、誰かからお引き立てをいただいていて、その結果今の自分があるのだということをよくわかっていらっしゃるからです。

そして大切なことはお引き立てをいただいた「借り」は必ず誰かに返すべきだということを知っていらっしゃいますね。だからこれから頑張ろうとしている人を助け、手を差し伸べてくれるものなのです。

心が謙虚→人の話が聞ける→学べる状態→成長のきっかけ

人間は一人の力で成長するには限界があります。どんなに努力をしても叶わないものもあるのです。そんな時にお引き立てをいただいて願いが叶うという局面は意外にもあるものなのです。

だから山田さんがやることはやれることを休まずやる。商売をなさっているのなら、絶えずお客様のことを第一に考えて学んで、学んで、学び続けることです。少しばかり金儲けができたからといって一安心した時から心に傲慢の芽が顔を出しますよ。

わかってはいるものの、お坊さんの言う通りになかなかできないのが私の性分ですが、それでも本分を全うしようと意識をしています。私を引き立ててくださる方々は沢山いらっしゃいます。

立派な経営者さん然り、真剣に働いているお店のスタッフさん然り、です。そこからいつも学んでいます。近年では日報読者の皆様から寄せられるコメントは一年を通して私に大きな影響を与えました。記事を書き始めて一年立ちます。また一年よろしくお願い申し上げます。


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