無趣味だったAさんは、完全リタイア後は何もすることがないので、暇を持て余していた。そんな時、高校時代の同級生に勧められて始めたのがパチンコだった。Aさんの年代なら若い頃は一度や二度はホールに足を運んでいてもおかしくないが、若い頃からパチンコとは無縁の生活を送っていた。
パチンコは1パチ専門で始めた。あまり勝つこともなく、毎月3万円ほどをパチンコに突っ込んでいた。パチンコを始めて数カ月が経過した時だった。何とエヴァで8万発以上も出してしまった。連チャンが止まらず、永遠に出続ける感じを初めて体験する。
1パチでも8万円ほどになり、家に帰ると早速興奮状態でこの日の連チャン話を奥さんに話した。そして奥さんにもパチンコを打ってみることを勧めた。
翌日、奥さんを伴って2人並んでエヴァを打った。すると、ビギナーズラックの神様は奥さんに舞い降りることになる。2000円目で大当たりすると、4万5000発を出すことになる。
それからは夫婦でパチンコを打つようになるが、その後は連戦連敗状態が続いた。これではおカネがもったいないと気づいた時に、家庭用の中古台が売られていることを知る。
現在家には6台の中古機が設置されている。うちセブン機は2台で、残り4台はハネモノだ。で、Aさんが改めて面白いと思っているのが、ハネモノだった。中でもお気に入りは西陣初のボクシングタイプのハネモノの「ダイスマン」だった。値段は1万2000円だった。京楽のタヌ吉くんも好きなハネモノだ。

ハネモノが全盛期だった頃は各社が知恵を絞ってより面白いハネモノの開発競争に勤しんでいた時代があった。
Aさんは遊びやすくするために、自分でペンチを使って釘を曲げたりしているのだが、いかんせん素人では何をどうしていいのかさっぱりわからない。
そこで伝手を頼ってパチンコ業界でハネモノの調整をやったことがある人の下へ、釘調整の依頼話が来た、というわけだ。ハネモノを調整できる人材なんて今や絶滅危惧種状態ではある。
Aさんのようにパチンコ初心者には、やはりハネモノはパチンコの面白さが伝わるというものだ。新規ユーザーを開拓するにはやはりハネモノの様な機種が必要である。そもそも数字合わせのセブン機はパチンコと呼ぶにはふさわしくない。

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でも今では規則でダメなはず。
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